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東京高等裁判所 昭和56年(う)973号 判決 1985年6月26日

≪目 次≫

被告人の表示等

主文

理由

第一控訴趣意の要旨

第二当裁判所の判断

一本件の概要及び争点

二本件捜査の経過等

三目撃者らによる犯人の同一性識別の信用性について

1はじめに

2本件の各写真面割りの検討に関し共通する事情

3A関係

(一) 目撃状況等

(二) 写真面割りの状況

(三) 面通しの状況

(四) 総括と補足

4B関係

(一) 目撃状況等

(二) 写真面割り及び面通しの状況

(三) 「妻の弟」をめぐる論点

(四) 総括と補足

5C関係

(一) 目撃状況等

(二) 写真面割りの状況

(三) 面通しの状況

(四) 総括と補足

6D関係

(一) 目撃状況等

(二) 写真面割りの状況

(三) 面通しの状況

(四) 総括と補足

7E関係

(一) 目撃状況等

(二) Eの検面調書の信用性

(三) 総括

8F関係

(一) はじめに

(二) 目撃状況等

(三) 写真面割りの状況

(四) 面通しの状況

(五) 当審公判における同一性識別

(六) 総括と補足

9目撃者らによる同一性識別の総合評価

四警察犬による臭気判別結果について

五被告人のアリバイの成否について

六結論

第三自判の内容

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇年に処する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官川島興作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人葉山岳夫ほか六名共同作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意の要旨

検察官の本件控訴の趣意はおおむね次のとおりである。すなわち、

一原判決は、(一)被告人が公訴事実記載の犯行の指揮者ないし共犯者である旨の目撃者五人の証言または供述につき、各目撃者の観察の正確性に疑問があり捜査官の暗示や誘導によつて得られた供述ではないかとの疑いが残るとしてその信用性を否定し、(二)犯行現場から押収された本件凶器たる鉄棒の包帯について、警察犬による臭気判別を行つた結果によれば、指揮者とみられる犯人が握持していなかつた鉄棒の包帯から被告人の臭気が発見され、指揮者とみられる犯人が握持していたと考えられる鉄棒の包帯から被告人の臭気が発見されなかつたことは、とりもなおさず、被告人が指揮者とみられる犯人であつたことを疑わしめ、かつ、(三)被告人が犯行当時東京都豊島区千早町所在の前進社第二ビル内にいたとのアリバイ事実については、その確証があつたとするには未だいささか足りないものの、相当高度に及ぶ立証があつたということができ、結局、本件は被告人の有罪を断定するまでの証明がないことに帰するとして無罪を言い渡したものである。

二しかしながら、被告人を犯人とする目撃者五人の証言ないし供述は、原判決の指摘とはむしろ異り、十分にその信用性を肯定することができる。そして特に、

(1)  目撃者らは、本件発生後間もなく、写真選別によつて被告人を犯人と特定したのであり、その選別の経過は自然、かつ合理的であること、

(2)  目撃者らは、被告人と面通しして犯人との同一性を肯定し、被告人の面前においてもこれを維持しており、その供述には盤石の証拠価値が認められること、

(3)  目撃者らはいずれも捜査の初期の段階から、自己の記憶に忠実に、的確に被告人の身体的特徴を指摘していること、

等を重視すべきである。のみならず、警察犬の臭気判別結果も、被告人が共犯者の一員であることを雄弁に示しているばかりか、原判決も自認するとおり、被告人のアリバイ事実の証明は不十分なのであり、本件公訴事実は証拠上優にこれを認め得るのにかかわらず、原判決は、証拠の価値判断を誤りその証明がないとしたもので、これは事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかな場合に当たり、到底破棄を免れない。

第二  当裁判所の判断

(注) 以下に記載する本件の各事実関係は、いずれも原審及び当審において適法に取り調べた証拠に基づく認定にかかるものである。したがつて、特に問題になる点に関する等必要と思われる場合のほか該当証拠の掲記を省略する。

一  本件の概要及び争点

原判決の判示する本件の概要及び争点は以下の如くである。

(一)  本件の概要

いわゆる中核派は、同派に所属する全逓信労働組合員高橋範行が対立抗争中のいわゆる革マル派の手によつて虐殺されたとして、かねてからその報復を宣言していたものであるところ、中核派に所属するとみられる男四名が昭和四九年一〇月三日(以下同年に関しては、年号の記載を省略する。)午後一時過ぎころ、東京都品川区東大井五丁目二四番一八号佐藤スタジオ前付近路上に二段伸縮式鉄棒を携帯所持して集合し、折柄、同所を通りかかり身の危険を感じて逃げ出した革マル派所属の全逓信労働組合荏原支部書記長山崎洋一(当事三〇年)を大井町駅方向に追いかけ、右中核派所属の者四名のうち、三名が同区東大井五丁目二四番二一号川崎実業株式会社(以下川崎実業という。)の南西側の道路車道上において、右山崎に対し、こもごも右鉄棒で殴りかかり、同人の転倒後もさらに殴り続けた。(以下、この一連の出来事を単に本件犯行という。)そして、その殴打中、道路の川崎実業寄りガードレール内で、周囲を警戒していた中核派所属の別の一名が機をみて、前記三名に対し山崎への殴打を止めて逃げるように指示し、これを合図に中核派所属の四名がその場から仙台坂方向に駆け去り、山崎は、その後間もなく、大井消防署救急隊によつて、同区東大井五丁目八番一二号都南総合病院、続いて同都大田区大森六丁目一一番一号東邦大学附属大森病院に運ばれ治療を受けたが、同日午後六時二七分ころ、右大森病院において、前記殴打を受けたことに基因する外傷性脳機能障害によつて死亡するに至つた。

(二)  本件の争点

本件の争点は、結局、犯行現場にいた中核派所属とみられる犯人四名のうち、山崎を殴打中ガードレール内に位置し他の三名に指揮めいたことをしていた者(以下単に指揮者とみられる犯人という。)が被告人であるか否か、ということに帰する。

原判決は右のとおり判示するところこの指摘はそのまま当審においても通じるものである。

二  本件捜査の経過等

原審記録及び当審事実取調の結果によれば、本件捜査の経過等として次のとおり認めることができる。

(一)  本件捜査は、犯行現場における目撃者Gの一一〇番通報によつて開始され、現場保存、遺留品の確保、実況見分の実施などの初動捜査が開始された。そして、犯行現場に中核派のヘルメット及び当時同派が使用していたものと同種の鉄棒が遺留されていたこと、被害者が中核派と対立していた革マル派の者であつたこと、当日午後六時ころ中核派の拠点前進社において中核派の最高幹部である北小路敏が記者会見を行い、本件は前記高橋範行の虐殺に対する中核派の報復である旨の犯行声明を行つたことなどから、本件は中核派構成員による集団犯行、すなわち、同派と革マル派とのいわゆる内ゲバ事件と判断して捜査が進められることとなつた。

(二)  捜査本部は、事件発生当日、大井警察署(以下大井署という。)に設置され、本部長である警視庁公安部長のもとに、捜査主任官H警部以下二七名の捜査員によつて、地取り捜査(現場周辺を地域割りして数多くの目撃者等を捜す捜査)、セクト捜査(中核、革マル両派の内情調査)、被害者の行動関係捜査、遺留品等の鑑定捜査などが展開された。

そして、二人一組の捜査員で実施した地取り捜査の結果、犯行目撃者として、Dほかの者がいることを聞き込み、順次犯行状況について事情聴取した。

また犯行現場に、看板を立て、右捜査本部で本件の目撃者を探していることを告知し、一般に協力を呼びかけたところ、Aが大井署に出頭したのでこれからも目撃状況を聴取した。

(三)  このような捜査により、捜査本部に判明した本件の目撃者は、約四〇名の一般市民であり、いずれも事件とは無関係にたまたま、徒歩や自動車で現場付近を通りかかつた者であつて、もとより被害者の親戚、知人らはいなかつた。そして、右目撃者中には、かかわりを恐れて協力を渋つた者があつたこと、または、目撃場所が遠過ぎたり、目撃時間が短か過ぎる事情があつたことなどのため、右のうち供述調書化し得たのは三四名であつた。

(四)  捜査本部では、右三四名中、犯人の人相等も見覚えていると考えられた二六名に、多数の中核派活動家の写真を示し、犯人に似ている者の写真選別、すなわちいわゆる写真面割りを行わせたところ、そのうち一一名が被告人の写真を抽出し、数名が服部史雄の写真のみ、または同人の写真と他の者のそれを併せて抽出した。なお、その他の中核派の者の写真は一名または二名の目撃者が抽出したのみであつた。

被告人の写真を抽出した右一一名のうちの六名は、原審または当審において、証人となつたA、B、C、D、E、F(以下、この六名については、姓のみで表示することがある。)であり、その他にGら五名がいる。

(五)  写真面割りの結果、中核派の活動家中、最も容疑の濃い被告人が浮び上つた段階で、一部目撃者による被告人の野外面通しが実施された。

① 先ず一〇月三一日午前Dが日比谷公園内の児童公園付近において、中核派集団内の被告人を見て犯人の一人として特定し、

② 次に、一二月一日午後Aが日比谷公園内の日比谷図書館付近で被告人について八〇パーセント以上犯人に似ているといい、

③ さらに、同月四日、Gが東京地裁において、出頭した被告人を見て犯人の一人に間違いないと特定した。

そこで、この段階で、捜査当局は被告人に対する強制捜査に踏み切ることとし、昭和五〇年(以下同年については「昭和」を省略する。)一月一三日被告人を逮捕した。

被告人逮捕後、大井署において、さらに目撃者のうち、A、B、C、D、E、Fその他の者について面通しをし、その結果捜査官側において、被告人が犯人の一人であるとの確信を一層深めるような供述を得たとし、また警察犬による臭気判別の結果等の資料をも整え、同年二月三日被告人を起訴するに至つたものである。

(六)  このような捜査の経過に即し、目撃者らの供述調書が前記(三)のほか、警察及び検察庁において多数作成された。(以下、司法警察員または検察官の面前における供述調書をそれぞれ員面または検面と略称して引用する。)

三  目撃者らによる犯人の同一性識別の信用性について

1  はじめに

(一) 本件で検察官が被告人を起訴するに至つたのは、右の如く主として①目撃者らによる犯人の同一性識別(写真面割り及び面通し)の結果と、②警察犬による臭気判別の結果に基づくものと思われる。

ところで、右①について、原判決は、その「検討の方向」(五丁裏ないし六丁裏)において、犯人の同一性識別が正確かどうかは、目撃者らの供述がどれだけ忠実に原記憶を再現しているものであるかを検討することによつて確認すべきものとなし、それは目撃者らの犯人像自体や犯人の特定に関する供述のほか、広く犯行状況に関する供述、あるいはこれらの供述内容の変遷にも及ぶ必要がある旨説示し、総じて目撃者らの供述、すなわち言語表現の面を重視している。

これに対し、検察官は、写真による犯人の同一性識別(写真面割り)の重要性を強調し(控訴趣意書四頁から九頁)、視覚によつて得た他人の容貌に関する記憶は視覚によつて再現させるのが最も適切であり、その記憶を言語によつて再現させることは、体験者の表現力、言語習慣などによつて大きく影響され誤差を生み易く、写真による同一性識別の場合に比し証拠価値は遥かに低いといい、原判決とかなり対蹠的な意見を述べている。

思うに、人物の同一性識別につき、通常最も基本となるものは、当該人物を目撃した者の原初的印象、すなわち原記憶の言語による表現であることはいうまでもない。しかし、この言語表現には、検察官指摘の如く目撃者の表現力不足等により不正確な人物描写にとどまつてしまうおそれがあること、また、もともと記述不能ないし困難な印象というものもあるのに、およそこれを顕在化させ得ないこと等の欠点が存することは否定できないところであるし、他方、その人物に対する単なる追想的描写よりも具体的な知覚作用を媒介とする描写のほうが記憶再生により有利であると考えられていること等に基づけば、目撃者の原記憶を知るについて、言語表現すなわち供述のみに多くを依拠するのは適策ではなく、むしろ写真の利用が広く考えられてよいと思われる。そしてこの写真の利用には、いわゆるモンタージュ写真の作成方法もあるけれども、他方犯人が一定範囲の者と想定される場合には本件で用いられたような写真面割りの方法もまた甚だ効果的なもので、その結果に高い証拠価値を認めるのは十分根拠のあることである。ただ、さればといつて目撃者の言語表現の面をことさら軽んずる趣旨ではない。これらも写真選別の場合、これを裏づけあるいは験証するについて少なからぬ意義を有するものである。

そこで以上の理由から、当裁判所としては、先ず、目撃者らの写真面割り(及び面通し)による犯人の同一性識別の結果の正確性を重点的に検討し、目撃者らの犯人像等に関する供述にも補足的に言及しつつ、原判決の推論の当否を審査すべきものとする。

(二)  写真面割りの方法は右の如く犯人の同一性識別のため有用なものであるが、もとより完全なものではない。識別者にそれぞれ個人的偏差のあることは避け難いことであるし、また、単なる「人相」識別にとどまり、「風体」に及ばない傾きもある。そして何よりもこの方法は、モンタージュ写真作成の場合と異り、既存の写真との比較判断の過程が介入するため、既存写真の無意識的影響を受け易いとともに、これを用いてする暗示、誘導の行われる危険を包蔵している。それ故、これらの弊を避け、写真面割りの正確性を担保するための基準の見定めが必須といわなければならないところ、それには識別者の誠実性(これは供述者一般に通有の要素である。)のほか、少なくとも次の諸点が考慮されるべきものと思われる。

①  写真識別者の目撃条件が良好であること。

②  早期に行われた写真面割りであること。

③  写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められること。(特に、写真の性状、写真呈示の方法に暗示、誘導の要素が含まれていないこと。捜査官において犯人らしき特定の者を指摘する等の暗示、誘導を行つていないこと。)

④  なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること。

(この場合、体格、身長等をもあらわすものも収められていれば最も望ましい。)

⑤  呈示された写真の中に必ず犯人がいるというものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること。

⑥  識別者に対し、後に必ず面通しを実施し、犯人の全体像に直面させたうえでの再度の同一性確認の事実があること。

⑦  以上の識別は可及的相互に独立した複数人によつてなされていること。

(三)  若干付言すると、

(1)  写真面割りの効果は第一次選別を重視すべきである。いうまでもなく、写真識別者は自己の選別した写真の印象を無意識的に後々まで保持し、第二次選別以降は第一次選別の印象と原記憶との混同を生じ易いからである。

(2)  次に、前記基準⑥の面割り後における面通しの意義についてであるが、これは、生(なま)の実感の確認のほか、犯人の人相風体、すなわち全体像の把握の意味があるから不可欠なテストと考えなければならない。ただ、一般に、面通しは選別面通しが望ましいとされるが、しかし写真面割り後の場合は写真面割り自体が選択的であれば、単独面通しであつても上記意味を具現できるであろう。

(3)  また、人物の同一性識別の正確性が担保されている場合として、よく、当該人物が特異性を有するか、または識別者が熟知している者であること、識別者の供述以外にも補強的証拠が存すること等が強調されることがある。しかし、写真面割りの場合には、前記基準が満たされている限り右(イ)(ロ)等のことを考える必要性は殆んど無いといつてよいであろう。

(4)  なお、写真面割りの結果は絶対化され易いとの批判がある(弁護人答弁書五四頁参照)。しかし、右(二)の各基準は、とりも直さず写真面割りの正確性の事後的験証の場合の基準たるものとも目し得るし、その他面割り過程に対する点検、他の証拠(例えば、識別者自身の言語による人物描写)との対比など、写真面割りの正確性に対する吟味手段がことさら奪われているというものではない。

ただ、写真面割りによつて犯人の同一性識別がなされたといつても、その識別には程度の差があり得る(全く同一人物と断定する場合から、「良く似ている」、「似ている」という場合等、その間にニュアンスの違いが存する。)から、その程度に応じた評価を厳守して対処すべきものといわなければならない。

2  本件の各写真面割りの検討に関し共通する事情

そこで、以上のような基本的考え方のもとに、各目撃者らの犯人同一性識別の結果を判断することとするが、それに先立ち、本件の各写真面割りの検討に関し共通する事情につき統一して触れておく。

(一) 目撃者らの目撃条件(前掲基準①の点)について

これには主観的条件と客観的条件とがあると思われるが、前者に属するものとしては、目撃者の観察記銘能力、目撃時の心的状態、身体の状況ことに視力等があげられ、後者に属するものとしては、目撃位置、目撃距離、対象の動き、目撃時間、明るさ・見易さ等の環境状況等があげられよう。このうち、原審及び当審において出廷した各目撃者らの個人的事情に関するものについては後述するとして、右各人におおむね共通する事情としては、事件当時たまたま徒歩で、ないしは自動車を運転して現場を通り合わせ、突然事件に遭遇し、これを至近距離において目撃したものであること、その時刻は午後一時過ぎころで、人車等の錯綜していない道路上における犯行であつたため、明るさ・見易さという点では格別の支障はなかつたこと、目撃時間はDにおいてはやや長く、その他の者においてはごく短時間ではあるが、いずれにせよ指揮者とみられる犯人の全体像(人相、体格、服装等)を記銘し得るに足る時間であつたこと等が列挙でき、目撃条件はおおむね普通の状態にあつたとみて妨げないと思われる。

(二) 面割り実施状況(前掲基準②ないし⑦の点)について

(1) 先ず面割りに使用した写真作成の経緯及びその性状について考察する。

イ 前述したとおり、本件を中核派の者による犯行であると判断した捜査本部では、犯人割出しのために、一〇月五日ころまでに警視庁保管の中核派活動家の写真一一八枚を集めた。そのうち、約一〇〇枚はリングで、その余は黒紐で綴じて大井署に置かれ、捜査員は必要に応じこれを借り出し、目撃者に示していた。この二束の写真は、その後逐次捜査本部に新しく集められたものを加え、少しずつ数を増やしていつた。

一〇月二七日、赤表紙のアルバム(当庁昭和五六年(押)第三四九号の6)(以下赤表紙アルバムという。)が作成された。これは右二束の写真を基にしたもので、合計一九八枚のものである。したがつて、前記一一八枚の写真はすべてこの赤表紙アルバム中に含まれているが(但し、ネガがあつて焼増しが可能であつたものは焼増ししたもの、ネガのないものは前記リングまたは黒紐からはずしたもの自体)、当初の一一八枚の写真が赤表紙アルバムのどれにあたるかは区別し得なくなつている。しかし、この一一八枚の中に被告人の写真としては、「牛込署314番」(赤表紙アルバム№113と同じ。)一枚のみが含まれており、赤表紙アルバム№128及び128のABCDEの六枚は含まれていなかつたことは明らかである。

この赤表紙アルバムには、中核派の活動家の写真がおおむね番号順に一頁から貼られている。しかし、本来二六頁に貼付されて然るべき128の写真が三九頁に貼付され、二五頁の127から二六頁の129に飛んでおり、また番号順に貼付された写真が、三〇頁で終り、三一頁ないし三五頁が空白となつていて、後半の三六、三七頁に107のCDEFGHIの七枚の写真(いずれも服部史雄の写真)が貼付され、さらに三九頁に128の写真(被告人を含むデモ集団の写真)、四〇頁に128のABCDEの五枚の写真(いずれも被告人の写真)が貼付されている等、一見して不自然と思える配列がある。もつとも、この点につき、当審証人Hは、128の写真は異様に大きく127の次に貼ることはかえつて違和感を感じるし、また被告人の写真はあとからも集まつてくるはずであつたから、まとめて後半に貼るように指示し、また服部の場合についても同様であつた旨弁明し、かつ、このように後半部分にまとめて貼つた写真は、目撃者らが前半部分での面割りで被告人(113の写真)あるいは服部(107のAB)を選別したのちに念押しのため見せるように指示したと証言しているところではある。

ロ 右赤表紙アルバムの作成のやや前の一〇月一九日、前進社に対する捜索が行われた際に撮影された写真を集めた「一〇・一九前進社第二ビル捜索写真帳」(全二二枚)、(前押号の5)(以下、捜索写真帳という。)が作成され、また、一〇月二七日付の「富山保信面割写真帳」(全一二枚で、被告人の写真のみを集めたもの)(同押号の7)(以下、面割写真帳という。)が作成され(その一部は前起赤表紙アルバムにも転載されている。)、併せて本件面割りに用いられた。

(2) 次に、面割りと前記基準との関係について考察する。

イ 後に詳しく検討するところであるが、本件の各面割りは前掲基準②、④、⑥、⑦をおおむね充足しているものと認められる。

ロ しかし、基準③に関しては写真の収集、呈示の方法等につき精察の余地がある。もつとも、面割り用写真を中核派活動家に限定したことは十分合理性をもつていると考えられる。けだし、本件犯行の犯人は中核派に属する者によるものであることはほぼ疑いがなかつたところであるから、ここに犯人の的をしぼり目撃者らに同派所属の活動家の写真を示しても不当な予断を与えるものとはいい難いからである。しかし、前記赤表紙アルバムの写真の配列方法はいかにも公平らしさを失わせる粗雑なものであつたとの非難を免れ得まい。ただ、目撃者の大部分(Bを除く他の者)を第一次的に犯人識別を行つたのは赤表紙アルバム作成前のバラの写真であり、赤表紙アルバムの呈示を受けた際も、特にその後半の部分に被告人の写真がまとめられていたことによつて同一性識別が左右された顕著な形跡も(たまたまのことながら)認められないので(後述)、結局のところ敢えてとがめ立てするには及ばないように思われる。

ハ なお、基準⑤についても、目撃者らは、時に犯人に似た写真はないとし、時にその似方にいくらかの疑念が残る旨表明するなどしており、これによれば目撃者らが必ず犯人を指摘しなければならないとの心理的拘束下にあつたとも思料されない。

ニ このようにして、本件では、理想的ではないにしても、現在の実務上、ほぼ標準的レベルの写真面割りが行われたと評してよいと考えられるものである。

3  A関係

(一) 目撃状況等

Aはタクシーの運転手(当時三〇歳)で、タクシーを運転し、第一京浜国道方面から川崎実業横の交差点(以下本件交差点という。)に向つて走行中、その手前で本件犯行に遭遇し、三人の男が被害者を鉄棒で殴打するのを見ていたところ、突然「もういい、やばい逃げろ。」という叫び声がしたので、その方に目をやると、川崎実業前の歩道のガードレールの内側付近に指揮者とみられる犯人がいて、手をあげ逃走方向を指示していた姿をほぼ正面から視認し、なお、横顔を見た瞬間もあつた。その際のAと右犯人との距離はおよそ五、六メートル以内と考えられる。なお、Aは仙台坂方面に逃げていく右犯人らの後ろ姿を四、五〇秒見ている。Aに視力上の欠陥があるとの形跡はうかがわれない。

(二) 写真面割りの状況

Aは、捜査の初期である一〇月七日及び一一月一日の二回にわたり、被告人の写真面割りをしている。

(1) 一〇月七日の写真面割り

Aは、本件発生四日後の一〇月七日自ら大井署へ出頭し、I警部補に対し、目撃状況を供述した際、同警部補から既述の一一八枚の写真(リングで束ねたものと、黒紐で綴じられたもの)を示され、一枚一枚丹念に見て、まず指揮者とみられる犯人に似ている者の写真として「牛込署314番」の被告人の写真を選び、次いで右写真の特徴点を示す形で、犯人と髪型が似ている者として柳原正治の、頬が似ている者として高橋宏二の、目つきが似ている者として結柴誠一の各写真を選んだ。そこでI警部補は、同日付のAの供述調書末尾に右四枚の写真を添付した。

右写真面割りの時期は捜査のごく初期の段階であり、捜査官側において、未だ指揮者とみられる犯人の具体的イメージを有していなかつたとみてよいので、捜査官からAに対する暗示誘導の余地はなかつたと考えられる。

しかしながら、この点に関し、原判決は、「犯人についての特徴点の指摘からすると、その選別が純粋にA自身の記憶に基づくものであるか否かについて疑問をさしはさむべき余地がないではないが、その点に問題がなかつたとしても、事件直後の記憶の最も新鮮な時点でなされたその写真の選別は、被告人のみにとどまらず、他の人物の写真をも含めるなど必ずしも確信に満ちたもののようにはうかがわれない。」としている。これに対し、検察官の所論は、Aはモンタージュ写真作成の要領と同様に、指揮者とみられる犯人の容貌の特徴点を数枚の写真の中に見い出したものとしているところであるが、当審証人Iの証言によれば右所論は十分首肯でき、Aは「牛込署314番」の写真と、上掲他の三枚の写真とを同格に選別したものではなく、これら三枚は右「314番」をいわば補強する形で選別したとみるのが爾後の捜査の進行にも合致している。したがつて、原判決がAの最初の写真選別に被告人以外の者の写真を加えたことをきわめて消極的に評価するのは当を得ておらず、むしろAが先ず最初に被告人の写真を選別した事実の重要性を直視すべきであつたといわなければならない。同様の理由で、弁護人が、Aの原審第二一回及び第三六回公判における各証言を基に、「同人が右『牛込署三一四番』など四枚の写真を選別したのは、被告人は指揮者とみられる犯人に『似ている』けれども『犯人とはいえない』という趣旨で選別したものである」(答弁書一九〇頁以下)というのは、Aの公判廷における記憶の不確かさに乗じた主張であつて到底同じ難い。

念のため付け加えておくと、「牛込署314番」の写真は、昭和四五年一一月一三日撮影のものであるところ、当時被告人は二二歳で、本件犯行当時の被告人の容貌と完全に一致していたものではない。(それは本件犯行に接着した時点における被告人の他の写真と比較しても明らかである。)してみると、Aが「牛込署314番」の写真を指揮者とみられる犯人に似た写真であるとして選別したほかに、右犯人の特徴点を補う意味でその他の三人の写真をも選んだ態度はかえつて慎重に写真面割りをなそうとしたものとも解し得られなくはないのである。

(2) 一一月一日の写真面割り右の一〇月七日の写真面割りに使われた被告人の写真(「牛込署314番」)は右のように昭和四五年一一月一三日に撮影されたものであつて、その後捜査本部に被告人の新しい写真が入手できたので、より正確な写真面割りを実施するため、I警部補は、一一月一日、Aの出頭を求め、先ず、赤表紙アルバムを示したところ、Aは、指揮者とみられる犯人によく似ている者の写真として同アルバム中から№113(前掲「牛込署314番」と同じもの)及び128Bを抽出し、次に、捜索写真帳からは、12の写真中ほぼ中央に写つているタオルを持つた人物を示し、これが当日現場で指揮をとつた犯人に間違いない旨を述べ、さらに面割写真帳№9の写真を指揮者に似ている犯人の写真だとして特定した。(右の各写真の人物はいずれも被告人である。)

右の写真面割りの過程において、I警部補がAに対し、ことさら暗示、誘導を与えたとする証跡はない。弁護人は、右の写真帳を示すこと自体が目撃証人に暗示、誘導を与えるものであると主張する。しかし、たしかに、①赤表紙アルバムは前に述べたような粗雑さを伴つているものではあるが、一一月一日のAの場合は、すでに一〇月七日に「牛込署314番」の写真を選んでおり、赤表紙アルバムからはそれと同じ№113を抽出したうえ、その後半部分の128Bを抽出したのであるから、同アルバムの欠陥の影響を受けているとは思われないし、また、②捜索写真帳の方は被告人のみが写されているものではなく、前進社第二ビルの捜索時にたまたま居合わせた他の者も多数写つているものであるから、弁護人の主張は必ずしも当たらないものである。

(三) 面通しの状況

(1) 一二月一日日比谷野外音楽堂において中核派の集会が開催されたのに際し、Aは、I警部補のほか、警視庁公安一課員で被告人と面識のあるJ警部補とともに午前中から同所付近に赴き待機していたところ、午後一時前ころ日比谷図書館から西幸門に至る通路付近で被告人を至近距離で目撃し、警察官らに対し、「背の高さ、体つき、横を向いたときの頭の後部の長めの髪型、口元、特に一文字に近い唇などがよく似ている。一〇〇パーセントとはいえないが、八〇パーセント以上間違いない。」旨述べた。ただ、このとき、Aは自分だけで被告人を見い出したのではなく、J警部補から指摘を受けて被告人を確認したものである。そこで、原判決は、この点をとりあげ、この事実は、「Aが被告人逮捕後の検察官に対する供述調書において被告人を犯人と決めつけるような供述をしているのに比して、少なからず対照的である。」とし、Aの右識別が必ずしも安定したものではないかの如く批判している。

しかしながら、所論もいうように、当日の集会参加者は約一万七千名で、中核派の構成員だけでも約千七百名に達し、しかも全員がヘルメットを着用し、大部分が覆面をしていたため、捜査に手なれたJ警部補でさえ、容易に被告人を発見できなかつたこと、被告人を発見したのは昼食後に車から旗竿を降ろす作業が行われていた付近においてであつたこと等に照らすと、被告人は正午前には会場に到着しておらず、その後右車で会場にやつて来たとみるのが自然であり、したがつてAが午後一時ころ前までに被告人を見い出すことができなかつたのも無理からぬ面がある。しかも、Aが被告人を犯人として八〇パーセント位は間違いないとした表現は、検察官指摘の如く(弁論要旨五七頁)、犯人にほぼ間違いないと考えるが絶対的に同一であるとまでは断言しない、という趣旨と解すべきであるのみならず、そのときの態度は、犯行当時を思い出したように非常に興奮した状態で、終始その体を小きざみにふるわし(当審証人Iの証言)、あるいはうなるような声を発したこと(当審証人Jの証言)からしても、Aとしては、その場においてその表現した言葉以上に被告人が指揮者とみられる犯人であるとの印象を抱いたのではないかと推量される。

(2) Aは五〇年一月一八日大井署においても検察官の取調を受ける前、取調室に入る被告人に対する面通しを行い、指揮者とみられる犯人に間違いない旨確認した。

(四) 総括と補足

以上のような経過をもつて行われたAの写真面割り及び面通しの結果は、Aが原審公判廷においても一貫して、被告人が指揮者とみられる犯人である旨指摘していることと相まつて、その証拠価値は決して低くないものと考えられる。

(1) ところが、原判決は、第一に、Aの原審公判廷における一連の供述は、指揮者とみられる犯人の特徴及び被告人とその犯人との同一性に関する部分以外では食い違いや変転に満ち、これが広範囲にわたり、その程度が甚しいため、被告人が右犯人である趣旨を繰り返し供述しても、これを措信すべきであるとは容易にいい難いとしている。

しかしながら、原判決の指摘する食い違いや変転個所(犯人達を初めて見た位置、被害者の倒れた状態及びこれを見たときの自車の位置、犯人が手袋を用いていたかどうか、A自身の現場での行動、現場に遺留された鉄棒の数やその位置、犯人の数及び逃走方向、指揮者とみられる犯人の位置・言動、付近の野次馬の位置ないし数等)はいずれも、犯人の同一性識別の観点からすれば、いわば周辺事情ともいうべく、またかなり細部にわたるものである。原判決がこれらの事項を検討の対象に据えたのは、犯人目撃に関するAの観察力、記銘力等を験証するためであつたことは判文上(六丁裏)明らかであるが、しかし、本件事犯は短時間の一過的なものであつたことから、注意力を集中できた部分以外の点では観察、記銘が薄くなるのも常人にとつて当然であること、特にAに対する主尋問は、事件発生後約二年八か月も経過した昭和五二年六月二二日に行われていること、反対尋問はさらに主尋問後約一〇か月経た同五三年四月一九日から同五四年六月まで一年余にわたり合計一一期日に及び、しかもその反対尋問は、Aの員面、検面、主尋問に対する証言、反対尋問に対する証言中の各般にわたり、微細に、しかも容赦なく追及していく方法がとられ、ためにAとしてはこれに対応できかね、混乱する場面も少なからず存したこと、他方A自身には原判決も指摘するような「表現の稚拙さ」や「固執的かつ弁明的な供述態度」がみられ、そのほか、弁護人の法廷内外における弁護活動に対する反発立腹もあつて、場当り的発言をした面もあること等にかんがみれば、右食い違いや変転は、Aの犯人識別能力を一部減殺せずにはおかないものであるにせよ、あまりこれを過大視すべき性質のものではないと思料する。

(2) 原判決はさらに、Aの供述の混乱は捜査時の、しかも犯人の同一性認識の根拠となる基本点についてもみられるという。たしかに、指揮者とみられる犯人の特徴についてのAの捜査官に対する供述には、原判示のような体つき、顔つきその他に変遷がある。しかし、これとてもやや大きなわく組のなかでみれば、とり立てて重要視するに及ばないものである。すなわち、被告人は他人にとつて比較的印象に残り易いタイプに属するところ、当時における容姿の顕著な特徴を資料に基づいて描写するとすれば「年齢二六歳九月、顔は小し角ばつてあごのえらが出ており、眼鏡をかけ、長身(身長一八〇センチメートル)で、体つきは肥つてもおらず痩せてもおらずいわゆる中肉に属する」というものであろう。他にも特徴はあるにせよ、それは見る人によつて違う相対的性質のものか、または的確な言語による表現に親しまない内容のものである。そこで、右カギ括弧内の特徴点に沿つてAの各供述(一〇月七日付員面、一一月一日付員面、一二月一日付員面、五〇年一月一八日付検面、昭和五二年六月二二日原審第二二回公判証言)を検してみると、年齢、身長、眼鏡の点では殆んど異同がない。そして、①顔つきについて当初の「細おもて、頬がこけ、あごが出ている」から「全体的に角ばつた顔」「あごのえらが出ている」へ、②体つきについて当初の「やせ型」から「がつちりしている」へと変つていることは、ほぼ原判示のとおりである。しかし、これらの変化とて、すべて被告人の写真ないし被告人自身を観察しながらの供述変化であること、「細おもて」というのは長目の顔を意味し、「角張つた顔」と両立できるともいえること(なお、あごの特徴点は当初から指摘されている)、「やせ型」というのはいわゆるノッポという意味にも解されるうえ、体型全体についての表現であるとしても、顔面を中心とした印象を述べたものとすれば、「がつちり」と必ずしも矛盾しないこと等を考え合わせると、重点の置き方の差ともみ得る。いずれにせよ、Aの各供述は現実の被告人の容姿を表現するわく内での多少の違いと考えて妨げない。

(3) したがつて、原判決指摘の右(1)(2)の問題点は、格別の誘導もなく原記憶に忠実に写真選別をし、かつ面通しを経て被告人を特定したAの同一性識別の信用力をそれほど減殺するものとはいえないと考える。

4  B関係

(一) 目撃状況等

Bの原審証言によれば、Bは、タクシーの運転手(当時四二歳)であり、タクシーを運転し、仙台坂方面から走行してきて本件交差点で左折すべく、同交差点入口の横断歩道上にさしかかつた際、左前方の川崎実業前車道上における本件犯行を認めて停車し、運転席内から、前面及び左側の窓ガラスを通して、犯人四人が一団となり川崎実業脇を仙台坂方向へ逃走するのを約一・五メートルないし二メートルの至近距離で目撃したことが認められる。Bに視力に関する障害があるとの形跡はうかがわれない。

ところで、Bはこのとき、犯人のうち二人の者の容貌を記憶したという。しかし、その二人が犯人四人のうちのどれか、またどのような状態にあつたものかについて必ずしも判然としないものがあり、ために原判決をしてこの点はBの犯人特定に関する記憶の不確かさを露呈するもの、といわしめている。そこで、ここにBの証言及び捜査時の供述を摘記してみると、次のとおりである。①原審第二三回公判における主尋問に対する証言「犯人四人は、一人が前を、続いて二人が並び、その次をまた一人と、菱形のようになつて逃げていつた。自分は先に走つた者の顔は見たが思い出せず、次に二人並んで走つているうちの自分に近いほうの者の顔を覚えている。それが家内の弟に似た角張つた顔の人物である。そのほか最後尾のスラッとした面長の者も確認できる。」②原審第四一回公判における反対尋問に対する証言 「四人の犯人のうち、顔を記憶しているのは一番先頭の者と後ろの者のように思う。」③一一月一三日付員面 「車内から犯人達を見たとき、倒れている男をはさむようにして、二人と二人に分かれて殴つていた。そのうち自分の方に顔を向けて殴つている二人の男を記憶している。」 ④一月二四日付検面 「犯人四人のうち先頭を走つていたと一番最後を走つていたについてはその人相服装をみていて、記憶している。は面長で特徴はない。の男は、年齢二六、七才で背が高く、顔はえらが張つた四角い顔、メガネをかけていた。」

したがつて、このような変遷のある証言からは、Bは、同人がのちに被告人として特定する人物は「四人の犯人のうちの一人」という限度でしか記憶していないと認定するにとどめるほかはない。そして、Bの証言のみでは、この「四人の犯人のうちの一人」はA、D証言等にあらわれている指揮者とみられる犯人かどうかも明確ではない。がしかし、この点は後述(9、(二)、(1))のとおり、諸般の証拠を総合すれば両者は同一人物と認めるべきである。

(二) 写真面割り及び面通しの状況

(1) Bは、一一月四日ころ自宅へ事情聴取にきたK巡査部長らに対し、犯行の目撃状況を説明し、その後同月一三日K巡査部長らが持参した赤表紙アルバムの写真を見て、その中から、№128Cの被告人の写真及び107Cの服部史雄の写真を犯人四人のうちの二人に似ているとして選び出した。(この経過に関し、Bが右128Cの写真を選別する前、被告人の他の写真をも選別したかどうか、いささかはつきりしない点がある。Bの原審証言及びKの当審証言によれば、Bは同アルバムの№113を一先ず選んだうえ、さらに128Cを確定的に選んだかの如くであるが、同人の一一月一三日付員面には128Cの写真のみしか添付されていないので、確かな心証を抱き難い。しかし、たとえ同人が特殊な写真配列をしている赤表紙アルバム後半部分の128Cだけを選別したのであつても、同人はその配列とは無縁に、後述のように「犯人」の顔つき、体つきが妻の弟のそれに似ているとの記憶を重要な拠りどころにして128Cを選んだものと推認されるので、この経過の不明は特段問題とするに足りないと思われる。)

(2) Bは五〇年一月二四日、被告人に対する面通しを行い、被告人が指揮者とみられる犯人である旨確認した。

(三) 「妻の弟」をめぐる論点

Bは、原審公判において、「現場で見た犯人の一人は顔つきや体つきが妻の弟によく似ていたから自分はその特徴を明確に覚えている。そして公判廷にいる被告人がその妻の弟に似ている犯人である。」旨強く指摘する証言を行つている。

これに対し、原判決は、Bが犯人を目撃したとき、実際に妻の弟に似ているという実感を抱いたかを重要な問題点とし、Bの員面にも、検面にも犯人が妻の弟に似ているとの記載が全くないことを理由に、Bの前記証言の信用性に疑問を呈している。

そこで考察するに、Bは原審公判において、前記証言のほか、なお、被告人が逮捕された後、被告人の顔写真が新聞に出たあと、これを妻に見せると、「私の弟によく似ている」ともいわれ、妻もそのようにいうくらいだから、自分は記憶違いをしたわけではなかつたと思つた旨、また犯人の一人が妻の弟に似ていることは捜査官(但し、警察官か検察官か分明でない。)に対しても話した旨、そして妻の弟の写真を警察官に差出したことがあるがその後返還を受けた旨それぞれ証言し、かつ妻の弟の写つている写真(原審第四三回公判調書末尾添付の写し参照。但しの写真とは別物と思われる。)を原裁判所にも提出した。ところで、この添付写真(写し)によれば、Bの義弟は角張つた顔、がつちりした体格など全体的に被告人に似た特徴を帯有している。しかるに、捜査官側は右B証言のの事実を全く軽視した形になつているが、その理由につき前記K証人、H証人はそれぞれ次のように弁明する。すなわち、K証人は、一一月一三日の写真面割りでBが被告人の写真を選び出した際、「身内か親戚かそんな関係の人に感じが似ている。」といつたことをちらと聞いたが後日あらためて聴取しようと思つた旨、またH証人は、Bが犯人の一人が義弟に似ているといつているという話は、捜査会議終了後雑談か帰る間際に捜査員から聞いたので、「写真を見せてもらつておけよ。」という程度のことを話したことがある旨各証言しているのである。重要な目撃証人の一人が犯人の同一性識別に関し独特な供述をしたのにこれを証拠化せず、またそれに直結する資料の保存も等閑に付していることはいかにも軽忽のそしりを免れず、右証言は必ずしも十分頷けるものではないが、しかしBが妻の弟に関して述べる前記の証言は、到底虚構のことを申述しているものとは思われない。そうしてみると、Bが犯行目撃時、あるいは遅くとも最初の写真面割り時において本件の犯人の一人に妻の弟によく似た人物がいたとの記憶(実感)を有していたことは否定できないと考えるべきである。右認定に反する原判示部分は事実を正しく捉えたものとはいい難い。

(四) 総括と補足

以上によれば、Bは、犯人の一人については、頬骨の張つた角顔の妻の弟によく似ているとの独特の記憶に基づいて各写真面割りまたは面通しを行つて被告人を特定し、公判廷でもこれを一貫したものでこれは相当の根拠のある指摘とみることができ、その証拠価値は決して低くないと思われる。

もつとも、Bの証言には、(一)で検討した目撃状況、(三)で検討した妻の弟の写真に関するいきさつ等、かなり茫漠とした内容が少なくない。原判決は、このほかにもなお、①Bが現場で犯人らを見覚えることができたのは、駆け足状態で自車のそばを通り過ぎる、たかだか数秒の間という悪条件下であつたこと、②顔を見た犯人が被害者を殴つていたかについて供述の変転があることを挙げてこれらのこともその記憶の不確かさを示すものだとしている。ただ、①については、数秒の間にも目撃対象の特徴を脳裏に焼きつけることは、経験上可能なことと判断される。一方、②については、たしかに、Bは、一一月一三日付員面では、自分のほうに顔を向けて被害者を殴つていた二人の犯人があつたと供述したうえ、そのうちの一人につき被告人の写真を当て嵌めたのに対し、一月二四日付検面ではすでにその殴打の点をあいまいにしている。そして、このことを含め、総じてBの捜査官に対する供述、公判証言(例えば原判決指摘のような、車を停車させた位置、最初に犯人達に気がついたときの模様、倒れた被害者の周りにいた犯人の数など)にはとりとめのない個所がみられる。したがつてBの観察力、記銘力には懐疑的にならざるを得ない一面のあることは否定できないが、しかし常人にとつて瞬間瞬間の事実をすべて正確に記銘表現できるわけではないときでも、どこかに強烈に印象づけられることがあればそれは十分牢記できることもまた経験上考えられることであり、Bの場合、犯人が妻の弟に似ているとの一事がそれに当たるものであつたとみることはその証言の全体に照らし故のないことではない。このような理由から当裁判所はBの証言にも相応の証拠価値を肯定するのを相当と思料する。

5  C関係

(一) 目撃状況等

Cは、本件犯行現場近くに住む当時三二歳の主婦であり、三歳になる子供を連れ、大井町駅方向から現場付近に差しかかつて事件を目撃したものである。そして、東芝倉庫前から、丁度川崎実業前付近にいた指揮者とみられる犯人を視認した。もつとも、Cが本件犯行を目撃した位置、特にその移動状況の証言には著しい変転がある。おそらく、川崎実業前、三菱鉛筆株式会社前、東芝倉庫前付近を難を避けようとしてまごついた結果、その変転を生じたのではないかと推測されるが、いずれにせよ、川崎実業と三菱鉛筆株式会社にはさまれた道路の幅員は、僅か約七・二メートル、川崎実業と東芝倉庫の各建物の間口を合わせた長さも一〇数メートルに過ぎないものであるから、Cの目撃位置に不明確さが残るにしても、Cが「逃げろ」と指示した指揮者とみられる犯人を視認したのは数メートル内の至近距離であつたと認められる。なお、当日Cは裸眼であつたが、当時近眼鏡をかけなければ日常用務に支障があるような視力ではなかつた。

(二) 写真面割りの状況

Cは、捜査当局にとり本件の犯人像が未だ解明されていない初期の段階である一〇月六日と同月三一日の二回にわたつて写真面割りを行い、他の者に先がけて被告人を指揮者とみられる犯人と特定した。

(1) 一〇月六日の写真面割り

Cは、一〇月三日本件犯行目撃直後大井署においてL巡査部長に対し、目撃状況の概略を供述したが、その三日後の一〇月六日同署において、I警部補から机上に二山に積んだバラバラの中核派グループの写真一一八枚を示され、約一〇分間にわたり一枚一枚検討したすえ、「牛込署314番」の被告人の写真を本件の指揮者とみられる犯人として選んだ。この時点において、I警部補は右写真の人物には面識はなく、その名も知らなかつたもので、したがつて、Cの右写真面割りにあたつて同警部補らが暗示、誘導を敢えてしたとは認め難い。しかるに、原判決は、「Cは公判廷において右写真選別にあたつて捜査官の示唆や誘導があつたことを否定する趣旨の供述をしているが、犯人とおぼしき人物の発見はCにとつて初めてであつて、それも他の者に先がけてしたものであつたのに、これにふさわしいような印象的な状況があつたことは、右供述中に少しもうかがわれず、かえつてその時の記憶はすでにあいまいに化し、どのような経過でその写真を選んだのか容易に明確にできない有様である。」旨判示するが、しかし、写真による犯人の識別が何びとにとつても感動的であるとは限らず、また格別の感想をもらさない者もあるであろうし、いわんやCが他の者に先がけて選別したとする点は、C自身としてはもともと関知しないところであるから、原判決の指摘は必ずしも当たつているとはいい難い。

(2) 一〇月三一日の写真面割り

Cは、一〇月三一日の大井署において、I警部補から前記赤表紙アルバムを示され、「牛込署314番」の写真のほかに№128Bの被告人の写真を選んだ。しかし、その際、128Bと同じ頁に貼付している128ACDE、その前頁の128の各写真については、「同じ人の写真ですよね。」といいながら、「しかしこの128番のBというのは現場で今まで説明していた指摘をしたDという犯人にそつくりです。」と述べ、128Bを強調してI警部補に示していることが認められる。この日のCの写真面割りの全過程に捜査官が暗示誘導を行つた形跡はない。(むしろ右のような128Bに限定した状況は捜査官が誘導とみられることを控制していたことの一証左とみれなくもない。)

(三) 面通しの状況

Cは五〇年一月一八日、大井署において被告人の面通しを行い、本件現場にいた犯人に間違いない旨断言した。

(四) 総括と補足

以上のような経過をもつて行われたCの写真面割り及び面通しの結果は、Cが原審公判廷においても一貫して被告人が指揮者とみられる犯人である旨指摘していることと相まつて、その証拠価値は決して低くないものと考えられる。

しかしながら、原判決は、既述の犯行目撃位置に関するものをも含め、Cの証言にはいくつかの疑問があり、信用力に乏しいとするので補足説明する。

(1) 証言態度について

原判決は、「Cは、原審公判廷において、主尋問及び反対尋問を通じ、被告人と指揮者との同一性を肯定する供述をしてはいるが、それは主尋問及び反対尋問時の裁判長の補充尋問に対しいわば結論的にそうしているだけのことであり、反対尋問に十分応答せず、何故に被告人を犯人であるとするのか、ほとんど説明せず、結局Cの被告人を犯人とする供述は実質的に反対尋問に耐えておらず証拠価値が乏しい。」とするが、右判示は何らかの誤解によるものではないかと思われる。けだし、所論もいうように、Cは何らの根拠なく被告人を犯人と特定したのではなく、原審第二四回公判において、指揮者とみられる犯人の特徴につき、黒縁のめがねをかけていたこと、あごのえらが出ていること、身長、肩の張具合いなどの諸点を具体的に指摘したうえで、在廷している被告人をその犯人であるとして特定し、かつ犯行時と現在との眼鏡や髪の形の違いにも触れているのであり、また、同第四二回公判でもほぼ同様犯人の特徴点を述べる態度をとつているのであつて、単に結論を固執しているだけとみることはできない。さらにCの反対尋問に処する態度についてであるが、その反対尋問は、犯行目撃後約五年を経過し、主たる主尋問からでさえも約二年経過後二期日にわたつて行われている。Cは平素法廷や裁判とは全く縁遠い主婦であるので、数年前のすでに記憶の薄らいだ事項に対する尋問や追及すこぶる急な尋問に対しては萎縮困惑し、貝のように口を閉ざして対抗したとみてよい場面が多々あるのであつて、反対尋問に耐え得ていないと評するのはいささか酷であり、このようなCの証言態度だけから形式的に信用性を疑うのであれば納得し難いところである。

(2) 供述の変転について

Cの指揮者とみられる犯人についての供述には、犯人の身体的特徴のうち、身長、体つき、顔つき、目撃状況について原判示のような変転がある。しかし、右のうち、身長については、Cは一〇月六日付員面(この時は未だ犯人の目星は全くついていない。)において一七〇ないし一七二センチメートル位と比較的長身である旨の供述をしており、体つきについては、同員面で中肉と述べ、これらは被告人の実体とさほどの懸隔はない。(もつとも、その後の調書では身長、体つきともに、さらに被告人の実体に近づく内容となつており、これはできるだけその実体に合致させようとのC自身または捜査官の意識的な思惑によるものとみざるを得ないものではあろう。)次に、顔つきについて前記一〇月三日付及び六日付各員面では「丸顔」と答え、これは被告人の特徴である「あごが張つている」事実と相反しているように思われる。ただ、Cはそう答えながらも右六日の日には同時に被告人の写真(「牛込署314番」)を選別しており、また原審第四二回公判でも「丸顔であごのえらが張つていた」旨(一月一八日付検面もほぼ同旨)述べている。そうしてみると、Cにおいては、あごが張つていることと「丸顔」とは矛盾なく両立し、いいかえれば、たとえあごが張つていてもそれは「丸顔」の範疇に入ると考えていると理解するほかない。顔の輪郭の印象は人によつてかなり捉え方が異り、かつ概して大雑把に表現されるものである(例えば、後述のFは、目撃した犯人の全員につき区別なく単に「面長」としか述べていない。同人の一〇月三日付員面参照。)ことを考えれば、Cの供述も敢えて異とするに足りないであろう。

次に、右については、すでにAについて一部触れたと同様に、Cは突如惹起された凶行にまごつき自己の行動の前後の記憶も定かでなく、ましてやその余の目撃関係を細部に至るまでは記銘できなかつたことを不用意に答えてしまつたことによるものではないかと推察される。そうすると、このことから、原判決のように指揮者とみられる犯人に対するCの観察及び記憶の正確さについて疑問をさしはさむのも一理なしとはいえないが、しかし、Cは右犯人を至近距離で目撃し、その顔は記憶に残り、夜も眠れない程であつたと証言しており、Cのこの刺激的な体験に基づく犯人に対する記銘は相当の信頼を寄せ得るものと考えられる。

(3) このようにみてくると、Cが早期に他に先がけて被告人の写真を選別した事実は必ずしも被告人と犯人との同一性識別に積極的役割を果し得るものでないとする原判決には左袒できないこととなる。

6  D関係

(一) 目撃状況等

Dは、本件現場付近にある甲株式会社東京事業所に勤務する当時四四歳の会社員(課長職)で、事件当日川崎実業前横断歩道を川崎実業側から喫茶店セントポール側に渡り始めたところ、反対方向から来る同僚のMと出会い、横断歩道の中間あたりで立話をし、連れ立つてセントポール側に歩き始めたとき、「やれ」という声を聞いて振り向き、犯人らが被害者に暴行を加えているのを見て、最も見やすい交差点中央付近車道上へ移動して犯行を目撃し、その過程で指揮者とみられる犯人の存在にも気付いた。Dの右位置から犯行現場までの距離は一二、三メートル、また川崎実業前歩道にいた指揮者とみられる犯人までの距離は約一〇メートルに接近したこともあつたと認められる。DはMに「あそこに立つているのはボスではないか。」と声をかけ指揮者とみられる犯人に意識的に注意を集中して熟視し、さらに同犯人が言葉を発して犯行の中止を指揮するのも目撃した。そして犯人達が自分達のほうに来るように思えたので、セントポールの中へ入り、同店の窓からそれらの者が仙台坂の方へ逃げて行くのを見続けたのち、後日警察官から犯行目撃状況を聴収される場合に備え、Mと二人で指揮者とみられる犯人の容貌などについて確認し合つた。当時Dの視力はおよそ〇・三と〇・七の近視であつたが、裸眼で日常生活に支障ない状態であつた。

(二) 写真面割りの状況

Dは、捜査のごく初期である一〇月八日及び同月二七日に写真面割りを行つている。

(1) 一〇月八日の写真面割り

Dは一〇月八日の写真面割りで被告人の写真を選別した。しかるに、原判決は、この写真面割り過程に関するDの証言につき、次のような疑問を呈している。すなわち、「Dは主尋問に際し、最初示された一〇〇枚位の写真の中には似ているものがなく、次に示された一二、三枚の中から一枚似ているものを選び、それから一枚だけのものを示され、それが右犯人に非常に似ていたと述べ、反対尋問に際しては、先に選んだ写真が被告人ではない方の写真であり、次に選んだのが被告人の写真であるが、その被告人の写真を一枚だけで示されたかどうかは記憶がないなどとしている。被告人の写真の提示方法に疑問が残るし、仮りにその提示や選別の経過に問題がなかつたとしても、Dが指揮者とみられる犯人に似ている人物の写真として、最初に被告人以外の者の写真を選んでいる事実は、これを看過すことができない。」

そこで原審におけるD証言、当審におけるNの証言を総合して検討すると、一〇月八日大井署でDから本件犯行の目撃状況を聴取したN巡査部長は、Dが指揮者とみられる犯人の人相、特徴を見覚えていることを知り、Dに対し、中核派の写真でリングに綴じられたもの約一〇〇枚を示して右犯人の有無を確かめたところ、Dはまず「北沢署1番」の写真を首をひねりながらもとり出した。次にN巡査部長が黒紐で綴じた約二〇枚の写真を渡すと、Dは同様に一枚ずつ見てゆき、その中から「牛込署314番」の被告人の写真をちゆうちよなく選んだ。Dは、このようにして選んだ二枚の写真を並べて見ていたが、やがて「北沢署1番」の写真は、鼻の部分やあごの感じから犯人と異るとしてこれを除外し、「牛込署314番」の写真のほうがあごの部分、顔全体の感じからして似ているといつて、結局その写真のみを指揮者とみられる犯人に似ているものとして選別したと認められる。

右のとおり、警察官がDに対し、「牛込署314番」の写真のみを手渡した事実はない。しかも、被告人以外の者の写真である「北沢署1番」はDが犯人の顔に似ているところがあるとして一応とり出したものに過ぎず、それが同人にとつて最初の面割り写真となつたのは、写真を見た順序がたまたま「牛込署314番」の写真より前であつたからであり、しかし、結局は犯人の一人ではないとして除外したのであつて、右のような経緯にかんがみるとき、Dの写真面割りの経過に原判決が抱いたような不審のかどは全く見い出せない。むしろ、Dは、前記のとおり本件犯行目撃直後喫茶店に入り、後日の警察の取調に備え、指揮者とみられる犯人の特徴について会社の同僚と確認し合つたものであることを考慮すると、Dのこの日の写真面割りの結果は格別信用性が高いものと認められる。

(2) 一〇月二七日の写真面割り

この日もN巡査部長はリングと黒紐綴じの計約一二〇枚の写真のほか、捜索写真帳及び面割写真帳をDに示し、犯人の特定を求めたところ、同人は右約一二〇枚のなかからすぐさま前回指摘した「牛込署314番」の写真を「リーダーの男です、よく似ている。」といつて選択したうえ、なお他の写真帳からも被告人の写真三枚を選んだ。

(三) 面通しの状況

(1) 大井署の捜査本部では、一〇月三一日に部落解放同盟主催による狭山事件公判闘争集会が日比谷公園で開催され、これに中核派構成員が多数参加することが予測されたので、被告人もこれに参加する可能性があると考え、同公園においてDに面通しを試みさせることとした。警察側からは、大井署のN巡査部長に前記J警部補が同行し、かつ捜査主任官のH警部も加わつてなされたものである。

この日Dらは午前一一時前後ころ日比谷公園に着いたが容易に被告人を発見できる状況ではなかつた。しかし暫くたつてから、Dは児童公園付近でJ警部補に、現場で見たボスかどうか確認してほしいといわれたので、六、七メートル先の宣伝車の方向を見ると、二〇名位のグループの中に本件の指揮者とみられる犯人に似ていると思われる人物がいて立つたり坐つたりしていた。Dはその人物の顔の両側等を熟視し、特に右頬の印象から犯人に間違いないと判断し、警察官らにその旨伝えたが、その人物は被告人であつた。

ところで、右の面通しにおいてDは自分自身で被告人を発見していない。そこで原判決はこれをD証言の信用性否定の一事由としている。しかしながら、当日日比谷公園に集会した人数は一万五、六千人にのぼり、そのうち中核派の数も千七、八百人に及んでいたもので、そのような多人数(しかも大部分がヘルメットを着用したり、覆面していた)の中から特定の人物一名を発見することは通常人にとつては著しく困難であり、原判決は難きを強いるものといわなければならない。かえつてDは、前述のように集団中の被告人を熟視しつつ、慎重に犯人に間違いないとしたのであつて、これを信憑力のないもの、すなわち誤認に過ぎないと論定するのは早計に失するであろう。

(2) Dは五〇年一月一七日、大井署で、勾留中の被告人に対する面通しを行い、指揮者とみられる犯人との同一性を承認した。

しかし、Dはこのときも、また(1)の日比谷公園での面通しについても、そこで感じた被告人の身長は、犯行現場において指揮者とみられる犯人から受けた印象よりも大きく感じられるものであつたと証言している。そこで原判決はこれをもD証言の信用性否定の一事由としている。そして、「被告人の外観のうち一見して最も目につくのは、長身であるということであり、Dが近視であつて、かつ一〇数メートル程度離れたところから指揮者とみられる犯人を目撃したことを考慮すると、Dが被告人を実際にみて右犯人に似ているとしながら、被告人の身長を右犯人の印象に合わせかねているのは、容易に理解し難いところである。」という。

しかし、Dは近視ではあるが、当時日常生活に支障のない状態であつたことは既述したとおりである。現に、前述の日比谷公園でも被告人を確認し得ている。そして、身長についての印象の違いはもともとDが犯行現場における指揮者とみられる犯人の身長を少しく低目に観測したことに起因するのではないかと推測される。(もつとも、Dは右犯人の身長については終始一六五ないし一七〇センチメートル位と供述し、普通より以上の領域にあるとの感覚は有していたとみるべきである。)このようにDが犯人を低目に見たことは、犯行現場においては犯人らの小集団は静止しておらず身長等を他の対象と比較対照しにくかつたこと、また小集団内の殆どが大柄であるときは往々その身長を平均域に引き下げて見る傾向もあること等の理由から、決して考えられない事象ではないと思われる。しかるに、他方、面通しに際しては、周囲に多数の対照者がいたり(日比谷公園の場合)、あるいは屋内(大井署刑事課室の場合)のことでもあつたから右とは条件を異にし、Dにとつて被告人の姿は一段大きく感じられたのではあるまいか。犯行現場では一〇数メートル離れて犯人を見たのに対し、面通しの際は被告人を六、七メートルの距離で見た違いも理由の一端となつているかも知れない。いずれにせよ、この被告人の身長の点に関するD証言の内容は、同人の他の証言部分の確かさに照らし、その犯人識別の信頼性を大きく揺るがす本質をもつものとまではいえない。

(四) 総括と補足

以上のような経過をもつて行われたDの写真面割り及び面通しの結果は、Dが原審公判廷においても一貫して被告人が指揮者とみられる犯人である旨指摘していることと相まつて、その証拠価値は相当高いものと考えられる。

(1) ところが、原判決は、Dの公判証言は、全体として難点の少ないものと評価しながらも、捜査段階までさかのぼつてその供述を子細にみると、指揮者とみられる犯人の特徴等、例えば年齢、身長、鼻、口、目について供述が変転していること、写真面割り及び面通しについての前掲のような疑問点があることから、被告人と指揮者たる犯人の同一性を肯定するに至るまで信頼を寄せることはできないという。

しかしながら、Dは当時甲株式会社の中堅幹部であり、捜査官らも慎重な人物と評しており、その供述全体からみてかなり冷静に事件を観察し、本件の目撃証人中最も長く指揮者とみられる犯人を注視し、かつ先にも述べたように事件直後に喫茶店内で同僚と同犯人の特徴について話し合つたことも認められ、写真面割り及び面通しにも周到な態度でのぞんでいることが看取されるところであるので、その証言は十分信頼に値いすると思科されるのである。若干補足する。

イ たしかに、Dは捜査当初指揮者とみられる犯人の年齢について、三〇ないし三五歳と述べていたのに、その後次第に被告人の実際に近い年齢に供述を変えている。しかし、一般に人間の年齢についての判断は難しく、青壮年の場合前後五歳位の誤差はあり得ることであり、Dが被告人を犯人と選別した後、実際の年齢を捜査官に教示され、前の供述を訂正したとしても特に首をかしげるほどのことではない。

ロ 身長については捜査段階において、原判示のように順次、「一六五ないし一七〇センチメートル位」「一七〇センチメートル位で大柄の方」、「中背の中でも大きい方ないしは大柄の部類」と、そして原審においては、「普通、但し一メートル六五から七〇くらいの範囲」とそれぞれ述べているが、微細な変化にすぎないことは明らかである。(なお、この各供述内容が被告人の実際の身長と相違している理由については前述した。)

ハ 鼻に関しても、原判決が指摘するDの各供述、すなわち、「鼻筋が通つている感じ」、「高い方でなく、どちらかというと横に広がつた感じ」「小鼻が広がつた感じ」(以上捜査段階)、「やや高目で小鼻がわずかに張つていた」(原審証言)という内容は、いずれも被告人に多かれ少なかれあてはまるといつてもあながち不適切とはいえないものであつて、表現の差以上のものではない。

ニ 口唇や目の形状についても一応具体的に述べてみたり、「覚えていない、判らない」などとして供述を避けたりしているが、これは言葉でいいあらわせるか、いいあらわせないかのような微妙な印象を記銘していたからにほかならないと推認されるものである。

(2) このように、原判決の指摘は必ずしも実質的ではない。一方Dは、原判決もいうように、被告人の特徴点の一つである、顔が全体として角顔でえらが張つているとする供述は終始変つていないのであり、この点こそ注目すべきであろう。Dは前述したように本件目撃証人中最も良質の証人である。したがつて、Dの証言については原判示以上の説得性ある根拠がなければその信用性は到底否定できないといわなければならない。

7  E関係

(一) 目撃状況等

Eの五〇年一月二〇日付検面によれば、次のとおり認められる。

Eは、本件現場付近に所在するアパートに住む女店員(当時三七歳)であつたが、本件当日犯行現場東側手前の甲社前の道路南側(左側)を東から西に向かい歩いていたとき、道路北側前方のガードレールの中に四人位の男が立ち、Eのほうを向いているのを見た。男達との距離は約四〇メートルであつた。そのうち突然別の男一人が道路中央に飛び出してきて、大井町駅の方へ走り出し、そのあとを前記の四人位の男達が追いかけた。Eも追随して位置を移動したが、逃げた男は、男達のグループに捕まり、交差点手前で棒のようなもので殴り倒された。そして男達は「やばい、逃げろ」という制止するような声によつて仙台坂の方へ逃げていつたが、Eはその直後被害者のそばを通つて交差点を左折した。Eに視力上の欠陥があつたとの形跡はうかがえない。

(二) Eの検面調書の信用性

Eに関しては、証拠能力のある証拠として同人の原審証言と原審において同意書面(但し、原審弁護人はその証明力を争うものとした。)として採用された一月二〇日付検面とがある。そして概していえば、被告人が本件犯行の犯人であると識別するについて前者は殆んど役立たないのに対し、後者はその信用力のいかんでは有力な資料となり得るものである。しかるに、原判決はこの後者は前者よりも信用できるとは容易にいい難いと結論した。その理由は判文を整理してみると、ほぼ次のような点にあると考えられる。

① 目撃した犯行状況についての供述が刑訴法三二八条によつて提出されている一〇月一二日付員面のそれとの間に差異があること。

② 被告人に似ているという犯人(以下この犯人についてはカギ括弧を付して他の犯人と区別する。)を目撃したのは事件の初めの段階だけで、その際右「犯人」は他の犯人とくらべて格別奇異な行動をしていたわけでもないから、その程度の観察では犯人の同一性識別ができるとは思えないこと。

③ 「犯人」の顔つき、体つきについて他の目撃者が共通に指摘しているところと必ずしも一致しない特徴をあげていること。

④ 「犯人」の写真選別が記憶のみに基づく確信のあるものではなかつたようであること。

そこでこれらの点に考察を加え、果してEの検面に信用力がないものであるかどうかを検討するものとする。

①について。目撃した犯行状況についての供述は員面よりも検面がすぐれて詳しい。そして検面には、員面にはない犯人らの待伏せ状況が特に詳細に語られており、これが体験しなかつた者の供述とは到底考えられない。そして、Eはいち早くこの待伏せ状態にある「犯人」を目撃したものである。したがつて原判示のような、この「犯人」を記憶に残した時の状況や、「犯人」の発した「やばい、逃げろ。」の声を聞いた時のEの位置について両調書に齟齬があるとしても、両者を同一次元で比較するのは適当ではなく、検面に十分の信用を措くべきものといわなければならない。

②について。しかし、Eは前記の如く待状せ状態にあつた「犯人」につき「良くみえて、年齢は二四、五歳と思われ、身長はどの位であるかはつきりした事はいえないが他の三人位とくらべてかなり高かつた事を憶えている、云々。」と供述しており、奇異性の有無にかかわらず記憶にとどめ得た状況であつたことがうかがわれる。なお、Eは検面によれば待伏せ状態後において「犯人」の顔等に特に着目していないようであるが、犯人らに追随して自らも位置を移動し、三〇メートル以内(検面添付図面参照。)の近距離で犯行の始終を目撃しているのであるから、「犯人」を視認したのは「事件の初めの段階」のみと断定することはできない。もつともその目撃距離は証人となつた他の目撃者らよりもやや遠く、したがつて目撃条件はこれらの者より劣ると考えるべきであろう。

③について。しかし、Eが「犯人」の特徴として供述しているその年齢、長身であること、黒縁眼境をかけていたこと、顔の輪郭としてあごが出ていたこと等はむしろ他の目撃者らの供述と一致し、また被告人の実体にも合つていると思われ、ただ、顔の輪郭をたまご型と表現しているのが独特なだけである。すでに述べたように顔の形状の捉え方には個人差があるのであつて、したがつてこの一事を直ちにEの検面の信憑性の乏しさにつなげるのは早計であろう。

④について。Eは捜査官から誘導や押しつけがあつたとする趣旨の証言をしているが、これは原判決もそのままには受けとめていない。しかし、もしEが裁判所からの再三にわたる召喚に応じなかつた理由として「顔がわからないのに証言して決まつちやつたらいやだなと思つた。」と証言するところが真実だとするならば、Eの犯人の同一性識別の信用力は相当減弱するといわざるを得ない。そこで、この観点からEの検面で述べられている同一性識別の始終をふり返つてみると、Eは、

イ 一〇月一二日警察において約一〇〇枚の写真を見せられ、「牛込署314番」の被告人の写真を選んだが、これにつき、「とにかく良く似ていて同じ人ではないかと思うが、同じだといい切ることまではできない。」と述べた、としている。

ロ 五〇年一月二〇日大井署刑事課で被告人に面通しをしているが、これにつき、「犯人に良く似ている。写真でみたより実物でみたほうが一層良く似ている。しかし私が犯人を見た時間がわずかであつたためか、犯人だといいきることは不安である。」と述べた、としている。

したがつて、公判証言ほどではないにしても、Eは被告人と犯人との同一性については検察官に対し供述する際から多少不安をもつており、それは検面に記載されているとおりと考えられる。

(三) 総括

以上のとおりである以上、Eの検面の証拠価値はやや低く、被告人はEが「犯人」として目撃した人物に「良く似ている」という程度のものとみなさざるを得ない。しかし、原判決のように右検面の証拠力を全く峻拒するのには賛同し難い。

8  F関係

(一) はじめに

Fは当審で取調べた唯一の目撃証人であるが、その捜査段階における四通の供述調書(うち一〇月三日付員面は同意書面、同月六日付及び二八日付員面は刑訴法三二八条の書面、五〇年一月一七日付検面は同法三二一条一項二号書面)もまた当審で取調べている。

そして、Fは右検面においては捜査段階での写真面割りまたは面通しによつて被告人を犯人の一人としてほぼ特定できた旨供述しているのに対し、当審公判においては、被告人を犯人の一人としては特定できないような証言に終始したほか、右面割り及び面通しの状況につき検面といくつかの点で相反する証言をしている。しかし、Fは事件発生時から一〇年余を経過して後証言したものであるから記憶に消退があるのはむしろ当然であろう。そこで、以下には主として検面記載の供述内容を基礎に据え、その内容の信用性を公判証言及び各員面と対比させつつ、吟味すべきものとする。

(二) 目撃状況等

(1) 主としてFの検面によれば、同人の本件犯行の目撃状況は次のとおりである。

すなわち、Fは、乙株式会社で営業を担当していたものであるが(当時三七歳)、一〇月三日は自動車を運転し午後一時ころ、品川区文化会館方向から本件交差点にさしかかつたところ、前方の川崎実業前付近で、四、五人の男が乱闘しながら、車道へ出るのを目撃したので、車を一時停止線のところへ停止させてその様子を見ていると、その中の一人の男が車道のセンターライン付近に倒れ、四人位の男が倒れた男の身体をそれぞれ手に持つた棒状のもので激しく上から下へ殴りつけていた。そして、その犯人のうちの一人が、川崎実業前から喫茶店セントポール前へ渡る横断歩道の川崎実業寄りの地点に来て、逃走方向を探すような様子をしたので右犯人の正面の顔を見ることができたが(その間の距離は証拠上約二四メートルと認められる。)、その犯人は、同所の歩道を仙台坂方向へ走つて逃げた。その際右犯人の左横顔も見えた。他の犯人も同方向に逃げていつたので、Fは、すぐさま車を発進させて犯人らの後を追つたが、犯人らは右の歩道から車道を左斜めに横断し、その先にある左側路地へ逃げ込んでしまつた。(その後の経過は省略する。)Fに視力上の欠陥はなかつたと認められる。

(2) 右のようにFが正面または左横顔を見た「犯人」(前同様カギ括弧を付して他の犯人と区別する。)はA、D証人らのいう指揮者とみられる犯人と同一人物と考えて妨げないであろう。なお、その「犯人」が殴打行為に加わつていたと認められるか否かについては後述する(9、(二)、(1))。

(三) 写真面割りの状況

Fは犯人像の解明が未だできていない一〇月六日及び同月二八日並びに五〇年一月一七日それぞれ写真面割りをしている。

(1) 一〇月六日の写真面割り

Fの検面によれば同人は同日大井署において、捜査官から一一八枚の写真を示され、その中から赤表紙アルバムでいえば№113(「牛込署314番」)の被告人の写真一枚を「犯人」に似た者の写真として選び出したものと認められる。しかるにFは、当審第一四回公判において写真は一枚だけでなく、五、六枚(但し、同一人物のものか違う人物のものか思い出せないとする。)を選んで調書にはその中の一枚だけを載せたように思うなどと証言するが、この証言は、右写真選別の日から未だ約三か月余経過したばかりで作成された検面の記載に照らし措信できない。

Fは、この日の写真面割りの印象について右検面の中で、「この写真はめくつていつて一目見た時に、あつ似ていると思つて引き出した。顔全体の印象といい、頬の辺り、目付など『犯人』に良く似ている。しかし、写真では髪の毛が短かくなつており、眼鏡は当時と違つている。写真では体格などが判らないので、良く似ているという程度の印象である。」と述べている。

(2) 一〇月二八日の写真面割り

Fの検面によれば、同人は同日大井署において、捜査官から赤表紙アルバムを示されて目撃した犯人を特定するように求められ、№128A、B、C、D、Eの五枚の写真(いずれも被告人の写真)の人物を「犯人」であると特定した。

弁護人は、この日の写真面割りが赤表紙アルバムによつて行われており、同アルバムは被告人の写真の数、貼付の仕方が異常であり、捜査官によつて暗示誘導的なものになつていることは明白であるというが(赤表紙アルバムについての当裁判所の所感については前記2、イ参照)、Fはすでに一〇月六日被告人の写真を選別していることであつてみれば同アルバムの写真配列の粗雑さをさまで重視する要はないであろう。

(3) 一月一七日の写真面割り

Fは、五〇年一月一七日検面作成時に、再び検察官から、赤表紙アルバムを示され、一〇月二八日のときと同様、№128AないしEの五枚を「犯人」として選別し「ヘルメットをかぶつていると印象が違うのであるが、ヘルメットをかぶつていない128Bの写真については特に『犯人』の男によく似ている。」と供述している。

(四) 面通しの状況

Fの検面によれば、同人は五〇年一月一六日と、同月一七日の二回にわたり、大井署において被告人の面通しを行い、一六日には被告人をよく見ることができなかつたが、一七日には、被告人が同署の刑事課の部屋において、歩いているところ、座つたところ、正面、横顔などを十分見ることができたとし、その印象を次のように述べている。すなわち、被告人の顔の輪郭、あご、口元の辺り、目つきのきつい点、顔全体の感じ、髪の長さ、体格、背の高さなどが「犯人」についての自分の記憶と一致し矛盾点がない。写真を見た段階では「良く似ている」という程度であつたが、実物を見たところ写真よりずつとよく自分の記憶している「犯人」の感じが出ており、それは、「似ている」の段階からさらに上の段階である。自分の心証を数字であらわせば、絶対ということはそもそもいえないので、九〇パーセント位は間違いないと受けとつてもらつてよい。

これに対し、弁護人は、右面通しは、あらかじめFに「犯人」が室内にやつて来ることを教示していたものであり、また、Fはすでに被告人の多数の写真を「犯人」として見てきたのであるから、同一性識別として危検なものであつたという。しかしながら、Fの右検面によれば、同人は、面通しの前検察官から、写真の印象をできるだけなくし、事件当時の記憶を呼び戻して「犯人」と被告人の同一性を見てほしいとの注意を受け、これを守つて面通しにのぞんだ旨供述しているところであり、また、前掲したの供述内容はFが右面通しに際し、写真と被告人との同一性を探ろうとしたのではなく、本件犯行目撃時の「犯人」についての原記憶と被告人との同一性について真摯に検討判断した結果を検察官に伝えたことをあらわすものとみられ、弁護人のいう危険性は可及的に排除されていると考えて妨げない。

(五) 当審公判における同一性識別

Fは当審公判廷において検察官から在廷中の被告人の識別を求められ、今までに被告人を見たことはないと証言した。また、赤表紙アルバムのなかから「犯人」に似ているものとして、第一四回公判における検察官の質問に対しては、№41、63B、92、111、113の五枚(113のみが被告人の写真で、他は別人物の写真)を、第一五回公判における裁判長の質問に対しては、№19A、39、80A、92、112、113、134、128B)の八枚(113、128Bのみが被告人の写真で、他は別人物の写真)の写真を抽出した。これらはFの記憶が一〇年余の歳月によりきわめて薄弱化していることのあらわれと思われるが、右のようにして再度にわたり選別した写真の中に、いずれの場合も被告人の写真が含まれていることは注目されてよい。

(六) 総括と補足

以上のようなFの検面によつて認められる同人の写真面割り、面通しの結果は、公判証言のあいまいさにかかわらず、十分の証拠価値を有すると認められる。

もつとも、当審において、弁護人は、Fは捜査初期「犯人」につき被告人と違つた特徴を供述していること、その捜査、公判における供述には変遷があつてそれには捜査官の誘導以外の理由は見い出せないことを論拠に、Fの各供述は被告人と「犯人」との同一性を立証し得るものではないと主張するので、これらの点につき少しく補足説明を加えておく。

(1) Fが捜査初期(主として一〇月六日付及び同月二八日付各員面)において被告人と違つた特徴を供述しているとして弁護人が指摘しているおもな点は、顔つき(「面長」「やや面長」といい、頬骨が張り角張つた顔であるとの特徴に触れていない)、年齢(「二二、三歳」)、身長(「一七五センチメートル」)、体つき(「やせ型」)である。しかし、その年齢、身長の点については人物観察上通常あり得る僅かな誤差にすぎない。また、顔つき、体つきについても、Aについて述べたと同様の理由(3(四)(2))により被告人の特徴と大きくへだたるものではない。すでに論じ((一)(1))、また後にも説明する(9、(二)、(2))如く、単なる追想的描写より、具体的な写真等の媒介によつて人物を特定することが遥かに容易かつ正確であることを考えると、Fが弁護人指摘のような表現をしつつも、被告人の写真を選別して特定した事実をこそより尊重すべきものと思われ、弁護人の意見には同調できない。

(2) 次に、弁護人の指摘するFの供述の変遷とは、主として顔つき、体つき、身長、年齢、目つきに関し、捜査が進むにつれ被告人の実際のそれに近づく供述をしているというものである。原判決も原審における目撃証人らについて同じことを問題にした。これに対する当裁判所の見解は後に説くとおりである(9、(二)、(2))。要するに、Fの場合についても、右のような供述の変遷それ自体をとりあげて直ちに消極的評価をするには及ばず、写真面割り及び面通しの事実の証明力を重視すべきものと考えて妨げない。

9  目撃者らによる同一性識別の総合評価

(一) 以上、3ないし8として考察したとおり、本件における六名の者は全く独立に、かつ別個の位置から犯行を目撃した者であるところ、

① これらの者は捜査段階の写真面割り及び面通しにおいて、やや強弱の差はありながら、被告人を本件犯行の一人に酷似ないし近似するとして特定した。しかも、うち一名(B)を除く他の五名の者は事件発生の日からごく短時日しか経つておらず捜査官側において犯人像未解明であつたとみられる段階で第一次の写真選別を行い、すでにしてほぼ共通の識別結果を出していたものである。

② そして、うち四名の者(A、C、D、B)は原審公判廷において重ねて被告人を犯人に間違いないとして指摘した。(別の二名((E、F))は原審あるいは当審公判廷においては被告人が犯人かどうかわからないとしたが、この二名についてはむしろ捜査段階における積極的供述のほうに、より信頼性を求めるべき関係にある。)

したがつて、当裁判所としてはこのような六名の目撃者の証言ないし供述の総合によつて、他に特段の阻害事由がない限り、被告人につき犯人としての同一性識別は有効になされ得たと判断する。

(二) ただ、この判断に至るにつき、なお次の説明を付加すべきものとする。

(1) 各目撃供述間に齟齬のある事実の認定について

本件では各目撃者の証言ないし捜査段階の供述にはそれ自体の中にすでに検討したような齟齬変遷があるほか、各目撃者の証言ないし供述を比較すると、各人の間に齟齬があることが見受けられる。例えば、それぞれが記銘できた犯人は指揮者とみられる犯人であつたかどうか、その犯人は被害者を殴打していたのかどうか、などは特に目立つ例である。しかし、この点は、各証言及び供述の全体を各証拠能力に応じて通観してみると、次のように認定するのが合理的であり、この推論に関する限り原判決も同旨と思われる(前示一、(1)参照)。

① 四人の犯人集団の中に一人指揮者格の者がいたこと。(A、C、Dが明確にこれを肯定し、F及びEも各検面でこれを裏づける供述をしている。)

② 目撃者らが記銘した犯人は右の指揮者とみられる犯人であること。(A、C、Dが明確にこれを肯定し、Fも検面で指揮者らしい犯人を記銘したとしている。BとEについてはその記銘した犯人が指揮者とみられる犯人であるかどうかは分明でないが、身長、眼鏡等その他犯人の特徴点の指摘に即して考えると、Aらのいう指揮者とみられる犯人と同一人物を記銘したものと認められる。)

③ 目撃者らが記銘した犯人は被害者の倒れていた場所では殴打行為に出ていないこと。(A、C、Dは一貫して殴打を否定する。これに対し、F及びBはともに各員面で、記銘した犯人は殴打犯人であるかのようにいい、Fは公判証言でも同様であるが、これらの供述ないし証言は、その各検面と対比し、必ずしも確信に基づく指揮とは受けとれない。)

したがつて、目撃者らは全く別々の犯人(指揮者とみられる犯人と他の犯人)をひとしく被告人として識別してしまつているとか、捜査官がそのように誘導したとの弁護人の見解を容れる余地はないと考える。

(2)  各目撃供述の齟齬変遷に関する原判決の見方について

原判決は、目撃者らの供述の検討の全体の「まとめ」として、目撃者らは事件後まもなく作成された供述調書では目撃した犯人について必ずしも一致した特徴点を指摘していなかつたにもかかわらず、その後次第におおむね共通した特徴点を指摘するように供述を変遷させているが、このことはその経過のなかに捜査官の暗示の影響が看取されないでもなく、目撃者らの供述の信用性に対する疑問を一層深めるものだと結論している。

たしかに、犯人目撃直後あるいは早い時期に作成された員面は目撃者の新鮮な印象を記録したもので注目すべきものと考えられるところ(但し、本件では、同意書面であるFの一〇月三日付員面を除くその他の各目撃者の員面は非供述証拠または刑訴法三二八条の限度でしか証拠能力が認められないものである。)、本件の各員面では、犯人像を十分に描写できていないのみならず、後に明らかとなつた被告人の特徴と矛盾する点もあり、また各目撃者間の供述が必ずしも一致しているわけではないことは、原判決のいうとおりである。しかし、右各員面には明らかに被告人の特徴に添う部分もあつて、かつそれが併存していることを一方的に見過してはなるまい。そして、他面、この種事件における捜査初期の員面は特に警察官の尋問技術ないし調書作成技術の巧拙に左右され易いこと、犯行直後においては目撃者らはなお心理的に未整理の状態にあることが少なくないこと、その人物描写は単に追想的な言語表現の方法にとどまらざるを得ないこと等を思うとき、最初の員面記載のみに特段高い期待を寄せるのには余程慎重でなければならないと考えられる。いずれにせよ、本件のような通りすがり的犯行の場合は犯人像が捜査初期から鮮明に浮びあがるものとは限らず、目撃者の供述にも幾多の不整合の存するのが常であろう。そこでかかる場合の捜査は、これらの各種情報の取捨選択を重ねつつ、統一した犯人像を想定し、やがて犯人を確定、確保していく過程と目し得る。そしてこの過程のなかで、写真面割りや面通しを重用するに適する場合があり、本件の如く犯人が一定範囲内の者と予想されるときにはそれはすこぶる合理的方法と考えられ、その結果は、暗示・誘導等の不当な影響に基づかない限り、むしろ初期員面供述よりも数等すぐれた犯人識別上の資料となり得ると思考される。

もつとも、一旦写真面割りまたは面通しを行つた後には、それによる対象人物のイメージが原記憶としての犯人のイメージと重なり両者が微妙に混交するおそれがあることは否定できない。しかも、この段階では捜査官による意識的、無意識的な暗示誘導の介入の危険も考えられるところである。さればこそ、当裁判所は前述の如く、写真面割りについて、その第一次選別の重要性を指摘したのであるし、また全般的な公正さの保持を正確性担保の基準の一つとして列記したのであつた。そして、本件では、目撃者らに対する第一次写真面割による選別は犯人像未定の間に捜査官の誘導なくして行われ、爾後既述のような写真面割り、面通しの進展をたどつて、各目撃者らの犯人識別の結果の一致が得られたものと認められる。しかるに、この間の目撃者らの員面、検面の記載は、その記銘した犯人像について、次第に被告人の写真や被告人自身の容姿に近づく表現に変化している部分のあることは原判決のいうとおりである。そして、これは目撃者らの原記憶に関する自発的な表現の修正というより、それまでの犯人識別作業の結果に影響された表現の変化とみるのが自然かも知れない。しかし問題は、いわば結果報告的なその記載ではなく、あくまでその基となつた写真面割り、面通し自体の正確度にある、というべきである。

かくして、本件の各目撃者らの犯人同一性識別に関する供述または証言に接するにあたつては以上のような観点からの評価が必要であつた。なるほど、犯行目撃者の各相互間における、あるいはそれぞれの個人のなかでの供述の齟齬変遷は、一般的にいえば証拠としての弱点を組成するものであろう。したがつて、通常の場合ならば、かかる齟齬変遷を重視することは当然のことでさえある。しかしながら本件では、この齟齬変遷を超えて、写真面割りを中心とする犯人の同一性識別の結果の一致があつたことを看過してはならなかつたのである。原判決は余りにも言語表現面における目撃供述の一般的弱点とされるものに拘泥し、即物的な写真面割りの捜査技術や一致した面割り結果の重味に十分な理解を示さなかつたうらみがあるといわざるを得ない。

(3) 他の目撃者の証拠上の取扱いについて

弁護人は、当審証人の証言によれば本件犯行の目撃者で写真面割りを行いながら一七名以上の者が被告人の写真を選別せず、また写真選別後面通しを行つたと思われる者のうち一〇名内外の者が被告人と犯人との同一性を肯定しなかつたことになるので、この事実を放置して写真面割り、面通しにおいて成功したとする者のみを取りあげることは不当であると主張している。しかし、犯行目撃者であつても、その目撃状況等からして犯人の写真選別を行い得ない者があることはむしろ常識的なことであるし、一旦は写真選別をした者のなかでも面通しの結果に精粗強弱の差があることも否定できない。そして起訴後の立証はそのうちで検察官が良質と思料する者を選択して証人申請するものであろうから、目撃証人の数が限定されるのは当然であろう。これに対し、もし決定的な消極証拠の存在がうかがわれるときは、裁判所としてはもとよりその証拠調に及ぶべきであろうが、本件において前記六名の目撃結果を弾劾するに足る他の目撃者が存在するふしはうかがわれない。六名の目撃証人の取調結果をもつて十分とするゆえんである。

もつとも、本件では逆に、写真面割りにおいても、さらに裁判所廊下における面通しにおいても、被告人を犯人として特定したとされるGを取調べなかつたことについて説明しておく必要があるかも知れない。同人は、犯行現場で最も犯人に近接した目撃者であり、本件を一一〇番通報した者でもある。しかし、検察官は原審において証人申請をせず、当審の最終段階に至つてはじめて証人申請をした。検察官が従来証人申請をしなかつたのは、当人が持病を有し、現在失明状態にあること、事件にかかわりをもつことを回避したいと申出ていたことが理由となつているもののようである。しかし、当裁判所はその申請を却下した。控訴審の構造にも関係があるがそれはさておき、同人の健康状態と、これまで取調べた各証拠に、さらに同人の証言をもつけ加える必要はないと考えたからである。

要するに、当裁判所は、本件では、前記六名の者の同一性識別以上にその余の目撃者の証言が必ずしも必要な状態にあるものではないと思料する。

四  警察犬による臭気判別結果について

(一)  本件現場付近で押収された四本の鉄棒(当庁昭和五六年押第三四九号の1、1の2、3及び4。捜査段階及び原判決の呼称に従い、これらを順次、符号一の一、同一の二、同一一、同一二の各鉄棒という。)に巻かれていた各包帯についての警察犬による臭気判別実験の経過及び結果は、原判決が理由第四、一の(1)ないし(4)に詳細摘示しているとおりである。要点のみを抜粋すると、

① 四本の鉄棒のうち符号一の二は被害者が倒れていた地点に、符合一の一及び同一二はそこからそれぞれ約一・四メートル及び約五・五メートル離れた地点(いずれも道路上)に遺留されていたのに対し、符号一一は約一四・六メートル離れた駐車場内に遺留されていた。

② 警察犬アルフ号には被告人の靴に付着した臭いを原臭として前記各鉄棒に巻かれた包帯の選別をさせたところ、その配列位置を変えてした二度にわたる実験においてアルフ号は二度とも符号一の一の包帯を持来した、というものである。そこで原審検察官はこの警察犬アルフ号による臭気判別結果をもつて被告人を犯人の一人と認定すべき有力な証拠に当たると主張したのに対し、厚判決は、大要次のように述べてこの主張を排斥した。すなわち、「右符号一の一の鉄棒は犯行現場で被害者を殴打していた犯人が捨てて行つたものとみるのが自然であるところ、被告人が擬せられている指揮者とみられる犯人は右殴打行為に出ていないのであるから、その鉄棒の包帯にいつ、どこで、どのようにして被告人の体臭が付着するに至つたか具体的立証は皆無である。犯人らは犯行に及ぶまで集団で行動していたはずであるので、指揮者とみられる犯人すなわち被告人が右鉄棒に触れる機会は十分にあつたとの検察官の主張は合理的推測の範囲に属するか疑わしい。したがつて、たとえ右鉄棒に被告人の体臭が付着していた事実が動かし難いものであるとしてみても、それだけでは被告人を指揮者とみられる犯人に結びつける根拠とするには足りない。」というものである。

(二)  たしかに、本件の指揮者とみられる犯人が殴打行為に出たことが証拠上認め難い以上、その体臭が殴打行為の段階で、被害者殴打のために使用したとみられる符号一の一の鉄棒の包帯に付着したと考えるわけにはいかない。しかし、検察官所論のように本件は中核派に所論する四人の者の計画的集団犯行であることにかんがみると、鉄棒を準備して集合待機したうえ殴打行為に出るまでの段階でその四人のうちの一人である指揮者とみられる犯人もまた右鉄棒の包帯に接触する機会があつたことは原判示に反し優に推測できるところである。してみると、本件の臭気判別結果はその正確度が保証されている限り、指揮者とみられる犯人を含む犯人のなかに被告人が入つていることを推認させる一資料たり得るものといわなければならない。しかるに、本件の臭気判別においては、犯行現場に遺留された鉄棒に巻かれた包帯をビニール袋、牛乳瓶を用いて密封して保管するなど、原臭保存の措置は一応適切であつたと認められること、臭気判別には、良く訓練され、これまでの物品選別成功率八八パーセントの実績をもつ警察犬アルフ号が使われていること、当日の判別前に行われた予備実験においては、一〇〇パーセントの成功率を示した後、前述の如く本件の二回にわたる臭気判別では各回とも同じ符号一の一の包帯が選別されたことなどの諸点に徴すると、この判別結果の正確度はなかり高い域にあるとみて差支えないと思われる。とはいつても、元来、犬の嗅覚や人の体臭などについての科学的解明はなお不十分とされており、犬の嗅覚能力の高さが未だ経験的、実験的に認知されるにとどまつている段階では犬の臭気判別結果に余り大きな信頼性を寄せることには抑制的であるのを相当としよう。結局他の証拠による犯人識別の補強的証拠としてのみ用いられる程度のものと考えるべきである。したがつて、本件でも、警察犬アルフ号による臭気判別の結果はすでに述べた目撃者の同一性識別の結果を支える限度で証拠力をもつと理解したい。

(三)  なお原判決は、符号一一の鉄棒は、指揮者とみられる犯人が所持していて捨てたものとみるほかはないところ、アルフ号がこれを選別持来しなかつたことは、被告人は指揮者とみられる犯人ではないのではないかとの逆の推測さえ容れる余地が出てくるとしている。しかしながら、もともと符号一一の鉄棒は必ずしも指揮者とみられる犯人が所持していて投棄したものとは断言できず、その意味では符号一の二、同一二と同じ条件にあつたのであるから、アルフ号が右一一を持来しなかつたことをもつて直ちに原判決のような推測をはたらかせることは、飛躍的過ぎるとの評を免れないであろう。

五  被告人のアリバイの成否について

弁護人は原審において、本件当時被告人にはアリバイがあつたと主張し、被告人も原審公判において、本件発生の日時ころは東京都豊島区千早町所在の前進社第二ビル内におり、午後二時三〇分ころタクシーで単鴨駅に行き、そこから都内品川区中延一丁目所在の同区立荏原文化センターに赴き、同日午後四時半から同五時ころ同所において「上原武」との偽名を使つて、会場の使用申込みをした旨供述しているところである。そして、原判決は、右アリバイ事実について「これに関する証拠の性質及び内容にかんがみ、その確証があつたとするには、いまだいささかの疑問が残らないではないにしても、相当高度に及ぶ立証があつたというべきである。」としたのに対し、所論は、被告人主張のアリバイはその内容自体不合理で、被告人の供述自体にもかなりの誤りと変遷があり、しかもアリバイを証明する証人は被告人と同志的関係にあつてその供述は作為的意図が歴然としている一方、被告人のアリバイ主張は被告人を犯人と特定する本件目撃証人の証言等とまさに表裏の関係にあり、これらの証言等が信頼すべきである以上、虚妄の弁解として顧慮に価いしないはずであると主張する。そこで、以下に検討する。

(一)  原判決は、当時荏原文化センターの職員をしていた原審証人O、同Pの証言、原審第四八回公判における被告人の供述、荏原文化センター使用申請書四枚各通に残された筆跡等に徴し、本件当日荏原文化センターで「上原武」と名乗つて会場の使用申請をした人物が被告人である公算もきわめて強い、旨判示するが、この部分は当裁判所も異論はない。すなわち右証拠物である荏原文化センター使用申請書四枚(当庁昭和五六年押第三四八号の1ないし4)の筆跡鑑定はなされていないものの、被告人の筆跡と右申請書四枚の筆跡は肉眼で対照し類似点があるように思われること、前記O証人は、「上原と名乗る人は眼鏡をかけていた。その人は、(法廷内を見て被告人を指さし)この方だつたと思う。」旨の供述をしていることなどに照らすと、一〇月三日午後三時ないし同四時ころ申込みをした「上原」と名乗る男は、被告人であつた可能性が高いと認めざるを得ないであろう。

しかしながら、本件犯行時刻が午後一時過ぎころで犯行現場が都内品川区東大井五丁目二四番付近路上であり、一方「上原」と名乗る男が右文化センターに現われたのが、午後三時か四時ころであつて両者間には少くとも約二時間の間隔があり、右文化センターの場所が都内品川区中延一丁目九番一五号であつて本件犯行現場から僅か約二・六キロメートルの距離しかないことにかんがみると、午後一時過ぎころに本件犯行現場にいた者が午後三時ころまでに右文化センター付近に至ることは、容易であると考えられるので、右時刻ころ右文化センターに被告人が現われたことが明らかであつたとしても、これによつて被告人のアリバイが完全に成立したとみることができないことはもちろんである。したがつて、被告人のアリバイの成否は一にかかつて、犯行当時被告人が前進社第二ビル内に所在していたか否かにあるといわなければならない。

(二)  しかるところ、原審証人北小路敏、三宅忠雄、谷翰一、藁科啓次、沢井重雄及び被告人はこれを肯定するのであり、これらの者の証言等になお原審証人須藤享の証言を加えてまとめてみると、その内容の大筋は次のとおりになる。すなわち、被告人は、一〇月一日夜から二日の朝まで仲間と車で法政大学のいわゆる車レポ(車で移動しながら監視すること)を行い、さらに同月二日夕方から三日朝までいわゆる前進社の社防(革マル派及び警察から前進社を防衛すること)を勤め両夜とも一睡もせず、同月三日朝食後仮眠していたところを三宅忠雄に起こされて、荏原文化センターの会場使用申込みと日比谷野外音楽堂使用にからむ抗議電話をせよとの指示を受け、次いでこれらの件に関し関係者らとほぼ午前一一時前後ころから午後一時前ころまでの間に二回にわたる打合せを行い、午後二時三〇分ころ沢井重雄ほか一名とともに前進社を出てタクシーで単鴨駅に行き、前記の時刻(被告人の供述によれば午後四時半ころから同五時ころ、Oの証言によれば午後三時から同四時ころ)に荏原文化センターに着き会場使用申込みをした、というものである。そして、この経過に関連する証拠としては、なお森口裕が実際上作成にあたつた事情聴取書なる文書等(証拠物((当庁昭和五六年押第三四九号の一三ないし一九))。但し、一部の「写」は刑訴法三二八条の証拠。)及び同人の原審証言がある。

(三)  しかし、これら被告人のアリバイについての各証言ないし被告人の供述には次のような種々の疑問点が存する。

① 被告人は前記のように二日連続徹夜し、ほとんど眠つておらず疲労して仮眠中であつたというのに、その被告人をわざわざ起こし、余人でもできるような会場の使用申込みや抗議電話を掛ける用務に就かせるというのはいかにも不自然のことと思われる。しかも、抗議電話は前進社の内部からでも済ませられることである。

② この会場申込み及び抗議電話のための打合せに関しては、北小路証言、谷証言、谷作成の事情聴取書写(刑訴法三二八条による証拠)の間に、打合せのテーマ、打合せ開始時間、打合せに要した時間等において若干の齟齬があるほか、このような会場申込や抗議電話という比較的簡単な事項につき必ずしも短時間とはいえない時間を費やしているのも解しかねることである。

③ 右打合せの状況に関する各証言は被告人の具体的な言動につき何ら触れておらず、きわめて臨場感の乏しい平板なものに終つており、現実性に些か疑問を抱かせる。

④ 被告人が前進社内にいたとされるときのことは別としても、同所を出てから荏原文化センターに至るまでの間のことが前進社関係以外の第三者(沢井重雄は証言当時は中核派を離れていた者であるにせよ、なおシンパ的存在であつたと認められる。)によつて全く裏づけられていない。これはただ被告人にとつて不運であつたというだけのことか疑いなしとしない。

⑤ 事情聴取書は単なる備忘のためではなく、形式からすれば後日何らかの形で公式に証拠資料とするはずのものであつたともみられるのに、伏せ字や符号(点)が用いられたり、登場人物名に偽名(ペンネーム)がそのまま使われているなどその作成意図に窺知し難いものがある。また、佐藤茂行名義のものを見ると、第三項には本件犯行直後の段階において話題とされるには尚早過ぎるかないしは客観的事実に反する犯人の服装にまつわる問答さえも記載されており、これは原審証人森口裕の証言する説明だけでは必ずしも得心できない点である。

⑥ ちなみに、前掲北小路証人は、「組織的な責任ある確認の内報」によつて本件を中核派による報復行為であるとの声明を行つた旨証言している。したがつて、被告人が本件の犯人ではなく、被告人以外に真犯人がいるのであれば(組織として当の真犯人なる者を具体的に明らかにするわけにはいかないにせよ)、真犯人が別にいることの徴憑の一、二は、被告人のアリバイ主張以外にも示され得るようにも思えるが、本件ではこの関係は全くうかがえない。

以上のような疑問点に想到すると、被告人のアリバイの主張については、原判決のように相当高度に及ぶ立証があつたということはできず、すでに検討した目撃者らによる犯人と被告人との同一性識別の結果を動揺させるに足るものではないと考えるべきである。そうすると、もとより被告人の本件犯行と被告人が荏原文化センターに赴き会場の使用申込みをした事実とは両立するとみざるを得ない。換言すれば、被告人は本件犯行に出た後、確証することはできないが或る過程を経て荏原文化センターを訪れたものと推断されるのである。

六  結  論

目撃者による犯人の同一性議別には、危検が多いことはこれまでしばしば警告されてきたことである。しかしまた、目撃供述により明晰に解決された事件がおびただしく存することも多言を要しないであろう。当裁判所は右危険性には十分留意しつつも前叙の理由により本件目撃者による犯人の同一性識別の結果に主として依拠し、被告人を指揮者とみられる犯人と認定するのを相当とすると考えるものである。そして被告人と、被害者に対する殴打の実行行為に出た他の三人の犯人とは明らかに意思を通じ合つたものであり、かつ、その用いた凶器が殺傷力のある二段伸縮式の鉄棒であること、被害者の身体の枢要部である頭部を中心に、三人がかりで集中的多数回の殴打行為に及び、その結果同人に多量の出血を伴う致命的な頭部割創、頭蓋骨骨折、脳挫傷等の重傷を負わせたことなどから、被告人らには被害者に対する殺意が存在したことを優に認め得るし、もとより凶器準備集合の事実の成立も明らかであるとみなければならない。したがつて、これを否定して被告人に無罪を言渡した原判決は、事実誤認をおかしたものとなさざるを得ない。

検察官の論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り、直ちに当裁判所において自判すべきものと認め、さらに左記のとおり判決する。

第三  自判の内容

(罪となるべき事実)

被告人は、いわゆる中核派に所属する者であるが、対立抗争中のいわゆる革マル派に所属する郵政事務官山崎洋一(昭和一九年八月一日生)を襲撃し、同人を殺害しようと企て、

一  ほか三名とともに、昭和四九年一〇月三日午後一時過ぎころ、東京都品川区東大井五丁目二四番二一号川崎実業株式会社前付近道路上において、右山崎の生命、身体に危害を加える目的をもつて、二段伸縮式鉄棒四本(東京高裁昭和五六年押第三四九号の1、1の2、3、4)を所持して集合し、もつて他人の生命、身体に対し、共同して危害を加える目的で凶器を準備して集合し、

二  ほか三名と共謀のうえ、そのころ、右路上において、殺意をもつて、右山崎に対し、所携の前記二段伸縮式鉄棒で同人を殴打するなどして同人を路上に転倒させ、さらに多数回にわたり右鉄棒でその頭部等全身を乱打し、同人に頭部割創、頭蓋骨骨折、硬脳膜下出血、脳挫傷等の重傷を負わせ、同日午後六時二七分ころ、同都大田区大森西六丁目一一番一号所在東邦大学医学部付属大森病院において、同人を右傷害に基づく外傷性脳機能障害により死亡させ、もつて同人を殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(確定裁判)

被告人は、昭和五〇年二月二四日東京地方裁判所において、監禁、傷害致死、死体遺棄の各罪につき、懲役八年に処せられ、右裁判は昭和五〇年三月一七日確定したものであつて、右事実は、検察事務官作成の前科調書、同年二月二四日付、同五二年七月六日付各判決書謄本及び同五三年三月一日付決定書謄本によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示一の所為は、刑法二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示二の所為は、刑法六〇条、一九九条にそれぞれ該当するところ、右各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示一、二の各罪についてさらに処断することとし、各所定刑中判示一の罪につき懲役刑を、判示二の罪につき有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一〇年に処し、原審における訴訟費用(但し第二六回、第三四回各公判期日における証人A及び第五三回公判期日における証人藁科啓次にそれぞれ支給した旅費日当分を除く。)並びに当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(萩原太郎 小林 充 奥田 保)

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